カルティエとカウズ

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カルティエは、パリの宝飾店の名前ですよね。
カルティエは、1847年に、ルイ・フランソワ・カルティエがはじめたので、その名前があるんだそうです。
ウインザー公爵、そしてシンプソン夫人が愛した宝飾店でもあります。
カルティエが出てくる小説に、『五彩のヴェール』があります。
『五彩のヴェール』は、サマセット・モオムが、1924年『ナッシズ・マガジン』12月号から、翌年の7月号まで連載した物語。長篇であります。
『五彩のヴェール』はひとつの例で、モオムの創作には故き佳き時代の英國上流階級が描かれます。これもモオムの小説を読む愉しみのひとつでしょう。

「彼女はタウンゼントのカフス釦や、チョッキの釦を氣をつけて見た。カルティエの店で眼についたのに似ていた。」

日本語訳は、上田 勤。ここで「カフス釦」と訳されているのは、カフ・リンクスでしょう。そしてまた、タウンゼントはおそらくカルティエでそれ等を誂えたものと考えて、間違いないはずです。
時代背景は1920年代はじめのことでしょうから、「チョッキの釦」も、当時の習慣として、ドレス・スタッド式に留める方式だったと思われます。
『五彩のヴェール』には、「カウズ」の話も出てきます。

「晩餐會は樂しかった。ロンドンの芝居のこと、アスコットやカウズのこと、彼女が知っているいろんなことで話がはずんだ。」

「彼女」とは、「キティ」という女性なのですが。
「アスコット」はもちろん、アスコット競馬場であり、「カウズ」は夏の避暑地であります。当時は、王室ヨットが係留される場所でもありました。
C o w es と書いて、「カウズ」と訓みます。イギリスの南部、ワイト島の港。
1870年代の短い間、ディナー・ジャケットは「カウズ」と呼ばれた時代があります。
英國皇太子が、カウズに停留した王室ヨットの中で着た、略式晩餐服から、ディナー・ジャケットがはじまっているからです。
どなたか1870年代のカウズを復活させて頂けませんでしょうか。

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