ドイツとトップ・コート

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ドイツは、ジャーマンのことですよね。
「ジャーマンポテト」だとか、ジャーマン・ケーキなんて言い方もありますね。
ジャーマンポテトがほんとうにドイツにあるのかどうかは、知りません。
でも、ジャーマン・ケーキはチョコレエトで美しく飾られたケーキのこと。アメリカでの
6月11日は「ジャーマン・ケーキの日」なんだそうです。
昔むかし、ドイツにインフレが起きたことがあるとか。このドイツでの大インフレと貴重な資料とが関係しているのですね。
フックス著、安田徳太郎訳の『風俗の歴史』。中世からのヨオロッパでの風俗を学ぶには不可欠の書であります。
はるか遠い昔、安田徳太郎はドイツに留学して。ある本屋に少しばかりお金を預けてあった。
安田徳太郎はその後日本に帰って、本屋のこともお金のこともすっかり忘れていて。そこに、ドイツの書店から立派な研究書が送られてきて。それが、フックス著『風俗の歴史』だったわけです。
ふつうなら、手が出せないほどの豪華本が、インフレによって只同然になっていたのであります。

「日本人は新調の外套を着せられ、空の鞄を抱へて、奇妙な顔で歩き出した。一九二二年八月末のことである。」

作家の池谷信三郎は、『五百圓の外套』という随筆の中に、そのように書いています。
1922年の「五百圓」は、今の五百万円くらいでしょうか。
池谷信三郎は1922年には、ベルリンにいましたから、ほんとうの話なのでしょう。もちろん、インフレの様子を語っているのです。
場所はベルリンの中央、ライプチヒ広場。ここに「ウエルトハイム」という百貨店があって。その「洋服部」で、日本人が外套を買う場面。6,900マルク。これを20マルク札と100マルク札とで支払うわけですから、大きな鞄が必要なのも、当然でしょうね。
この「五百圓の外套」はほんの一例で、池谷信三郎はたくさんの例を挙げて、事細かく、その頃のドイツでのインフレについて述べているのです。
たとえばレストランで食事中に、刻々と値段が上がってゆく光景だとか。

ドイツが出てくるミステリに、『夜はわが友』があります。1992年に、
エドワード・D・ホックが発表した物語。

「あいつだ。やっつけろ!」ドイツ語だったが、彼にはわかった。

これは「エマースン」が敵に発見される場面として。また、『夜はわが友』には、こんな描写も出てきます。

「トップコートのポケットから、新聞紙にくるまれた小さな包みを取り出した。」

これは「カーリー」という人物の行動として。カーリーは「トップコート」を着ているわけですね。
トップ・コート t op c o at は「上に羽織るもの」の意味ですね。「アウター・コート」や、「オーヴァー・コート」とほぼ同じ意味でしょう。
コート c o at は「上着」のことですから、「上着の上に重ねる外套」を指しているのであります。
そして、トップ・コートから生まれた表現が、「トッパー」 t opp er なのですね。

「あの白いトツパアの人ね……………。」とさかえは市子にほほを寄せて來て……………………。

川端康成が、昭和三十一年に発表した『女であること』の一節。昭和二十年代からの日本でも、「トッパー」の言葉はよく用いられたものです。
川端康成は、「トツパア」と表記しているのですが。
どなたか軽い、白い、トップ・コートを仕立てて頂けませんでしょうか。

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