マクベスは、スコットランドの姓名ですよね。たとえば、スコットランドの王家の名前だとか。
M acb eth と書いて、「マクベス」と訓むわけですが。ここでの「マク」は息子の意味。直訳すれば、「ベス家の息子」でもあります。ことに十一世紀、スコットランドの「マクベス王」はよく知られています。
このスコットランドのマクベス王に題材にとった物語が、『マクベス』。いうまでもなく、
シェイクスピア劇のひとつ。
『ハムレット』、『リア王』、『リア王』、『マクベス』。これを並べて、シェイクスピアの四大悲劇というんだそうですね。
『マクベス』は、だいたい1606年頃に、シェイクスピアが書いた劇ではないかと、考えられているようです。
初演は、1611年の春。かの「グローブ座」で。その頃、倫敦で有名だった星占い師に、
サイモン・フォーマンという人物がいた。このサイモン・フォーマンは『マクベス』を観て、詳細な観劇記を遺しています。
この『マクベス』の劇中に、こんな科白が出てきます。
「そうか、イギリスの仕立屋がはるばるやってきたのか、フランス式半ズボンの布地をごまかしたんだろう。ようし、入れ、いかさまの仕立屋。この地獄はてめえの火のしをあぶるにはもってこいだぜ。」
小田島雄志訳では、そのようになっています。
場所がスコットランドに設定されているので、「はるばる」となっているわけですね。
シェイクスピアの時代から、スコットランドでも英國のテイラーは尊重されていたのでしょうか。
また、「火のし」は、現代のアイロンのこと。シェイクスピアの時代にもおそらく鉄製で、中に炭火などを入れて熱く熱し、生地をこなしたのものと思われます。
今はまったくありませんが。昔は生地を「節約」することもあったらしい。これを職人用語で、「ピンを切る」と言ったものですが。
「マクベスの胸裏、大なるダンカンを忘れて、小なるバンコーを畏る。」
夏目漱石が、明治三十七年に書いた、『マクベスの幽霊について』の一節に、そのように出ています。
夏目漱石は英文学の先生でしたから、『マクベス』にお詳しいのも、当然だったでしょう。
明治四十三年に、漱石が発表した小説に、『門』があります。この中に。
「袴の裾が五六寸しか出ない位の長い黑羅紗のマントの釦を外しながら……………………。」
これは弟の「小六」の着こなし。高等学校生と設定されています。明治のことですから、和装で、和装の上に「マント」を重ねているわけであります。
マント m ant e a u 。もともとは、フランス語。フランス語なら、「マントオ」のほうが近いかも知れませんね。
「釦を外しながら」とあるのですから、いちばん上にひとつだけボタンのあるスタイルなのでしょうか。
どなたか明治期のマントオを再現して頂けませんでしょうか。