チーズは、フロマージュのことですよね。
純日本式なら、「乾酪」でしょうか。乾酪と書いて、「かんらく」と訓んだ時代があるんだそうです。
たとえば、チーズ・トーストなどもよく食べるではありませんか。朝の食事にも、ぴったりでしょう。また、食後に頂くひとかけらのチーズも、美味であります。
「チーズのない食事は、片目の美人」。
ブリヤ・サヴァランは、そんな言葉を遺しているんだとか。
「………乾酪、乳油、懐中乳の粉、懐中薄乳の粉等あり……………。」
明治三年に、福澤諭吉の書いた『肉食之説』に、そのような一節が出てきます。
ここでの、「乳油」は、今のバターのこと。また「懐中乳の粉」は、ミルク・パウダー。
さらに「懐中薄乳の粉」は、コンデンス・ミルクのことだったという。
明治三年に、「築地牛馬会社」が生まれて、チーズやバターを販売することに。この時の宣伝に筆を執ったのが、福澤諭吉だったのですね。
昭和十三年に、チーズ・トーストを食べたお方に、古川ロッパがいます。名古屋の「アラスカ」で。その時代には、大阪にも名古屋にも「アラスカ」があったのでしょう。
「…………次に、気がついたのが、傍に添えてあるチーズトーストである。チーズは、乾酪。カンラクだ!」
昭和十三年、ある時。古川ロッパが名古屋の「アラスカ」に行くと、メニュウに、「南京陥落スープ」というのがあって。古川ロッパは、それを注文。
やがて「南京陥落スープ」が。食べてみると、カボチャのポタージュに、チーズ・トーストが添えてあって。
カボチャは、南京とも。また、チーズは陥落とも。これをふたつ合わせて、「南京陥落スープ」のシャレだったわけです。昭和十三年は南京陥落が話題でしたから。
チーズが出てくる小説に、『嵐が丘』があります。1847年に、エミリー・ブロンテが発表した、古典。
「ヒースクリフのケーキとチーズは、一晩中テーブルの上にのったまま妖精のものになりました。」
夕食後、ヒースクリフが食べ残したので。
また、『嵐が丘』には、こんな描写も出てきます。
「彼の手がぜったい握手をさせまいとするようにチョッキの下に深く隠れるところを見たとき、私がどれほど胸を熱くしたか、彼には想像もつかなかっただろう。」
ここに、「彼」とあるのが、ヒースクリフであるのは、言うまでもないでしょう。時代は、1801年のことと設定されています。
男の服の歴史から眺めますと、チョッキ着用がほとんどを占めているのです。チョッキにはたくさんの利点があります。
今、なぜチョッキが流行らないのか。ズボンの股上が浅すぎるから。ズボンの股上が深いと、チョッキとのバランスがうまくとれるからです。
どなたか最上のチョッキを仕立てて頂けませんでしょうか。