黒蜥蜴とクレープ

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黒蜥蜴は芝居の演題ですよね。
『黒蜥蜴』は、もともとは、江戸川乱歩の推理小説。いわゆる「明智物」のひとつでであります。昭和九年の発表。昭和九年は西暦の1934年ですから、やがて百年近く前の物語ということになるでしょうか。
その『黒蜥蜴』が舞台にかかりますと、拍手喝采なのですから、名作というべきでしょう。

「意気なタキシードの青年がささやき交わした。
 美しい女の左の腕に、一匹の真黒に見えるトカゲが這っていた。」

黒い蜥蜴の入墨が。それでこの謎の美女は、「黒蜥蜴」名前で呼ばれるわけであります。

江戸川乱歩と親交があった人物に、福田蘭童が。江戸川乱歩はある時、福田蘭童を誘って、銀座のゲイバアへ。と、なかのひとりが半ばおふざけに、香水を福田蘭童の膝に。
江戸川乱歩は深夜、福田蘭童と一緒に、福田家へ。そして福田蘭童の奥さまに、しかるべく事情を話して、ことなきを得たという。
福田蘭童著の随筆『乱歩先生のあの夜あの時』に、そのように書いてあります。

江戸川乱歩の『黒蜥蜴』に長く関心を抱いていたのが、三島由紀夫。

「黒蜥蜴」は江戸川乱歩氏の唯一の女賊物であり、又、探偵に対する女賊の恋を扱つた点でも、唯一のものだらうと思ふ。」

三島由紀夫の随筆『「黒蜥蜴」について』には、そのように書いています。
三島由紀夫が江戸川乱歩に、『黒蜥蜴』の戯曲化を打診したところ、快諾を得たとのことです。
『黒蜥蜴』の演劇化にも紆余曲折がありまして。結局、初演は、1962年のこと。この時、黒蜥蜴に扮したのが、水谷八重子。明智小五郎になったのが、芥川比呂志。
水谷八重子の次に、黒蜥蜴を演じたのが、丸山明宏。今の美輪明宏。当時はまだ「丸山明宏」の名前でありました。

「十六、七年前、東京に出て来て間もない頃私は、銀座のバアで江戸川乱歩先生を紹介されたことが御座いました。」

丸山明宏は、『「黒蜥蜴」と私』と題する随筆に、そのように書いているのです。

「銀座のバア」。もしかして、いつか福田蘭童と一緒に行った店ではなかったでしょうか。私の妄想は果てしなく拡がってゆくのですが。

『黒蜥蜴』よりも前の大正十四年に、江戸川乱歩が書いた探偵小説に、『夢遊病者の死』があります。この中に。

「濡れた紺の詰襟の上衣を脱いで、クレップシャツ一枚になり……………。」

そんな描写が出てきます。この場合のシャツはもちろん下着としてのシャツなのでしょう。大正から昭和にかけては、クレープのシャツが珍しくなかったようですね。
「クレープ」crêpe は、もともとフランス語で、「縮緬」のこと。これが絹になると、「クレープ・ド・シイヌ」になるわけです。
日本語では「ちぢみ」とも「楊柳」とも。
食べるほうのクレープも、実は生地の名前から出たもの。表面にシワがあらわれるので。
どなたかコットン・クレープで、下着でないシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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