モネとモカシン

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モネは、フランスの画家のことですよね。
クロード・モネは、1840年11月14日、パリに生まれています。
かの有名な、「ジヴェルニー」に移るのが、1883年のことです。ここから「睡蓮」の連作が生まれたのは、よくご存じの通りです。
クロード・モネは1926年12月5日に、ジヴェルニーの自宅にて永眠。86歳でありました。1840年のお生まれとしては、かなり長命だったといえるでしょう。
モネがお好きだったものに、オニオン・スープがあるそうです。これは、クレア・ジョイス著、吉野 建訳の、『モネの食卓』に出ています。どうして、『モネの食卓』が世に出ることになったのか。それは生前のモネが、「食事レシピ」を書き遺していたから。
1980年、ジョエル・ロブションは、このモネの「食事レシピ」」を見るために、ジヴェルニーを訪れています。

「革新的で芳醇、華麗にして善良なレシピの数々が記録されたノートは、真の美食家の日常を記した貴重な証人である。」

ジョエル・ロブションは、『モネの食卓』の序文の中に、そのように述べています。
モネのオニオン・スープは、溶き卵を合わせるのが、特徴だったらしい。それに自家製のクルトンとたくさんのパセリの微塵切りとを添えたものだったようですね。
とにかく『モネの食卓』には、多くのご馳走が並んでいるのですが。たとえばデザートとしては、「バナナ・アイスクリーム」。バナナはピュレー状にして、裏漉しに。それを、アイスクリーム製造機に。
アイスクリーム製造機は大きな樽で、その中には氷がいっぱい。アイスクリーム製造機には鉄の把手がついていて、これをぐるぐる回すこと三十分。「バナナ・アイスクリーム」の完成です。

話は変りますが、ヘミングウェイがお好きだったものに、蕎麦粉のパンケーキがあります。

「その大きなパンケーキと小さなパンケーキにリンゴ・ジャムをつけて、彼は食べた。」

ヘミングウェイの短篇『二つの心臓の大きな川』に、そのようない一節があります。
「彼」とは、ニック。若き日のヘミングウェイの分身です。これはニックがひとりでキャンプをしている場面。
ヘミングウェイはこの『二つの心臓の大きな川』を、どこで書いたのか。パリで。1920年代のパリで。

「………モカシンで松葉を踏みしめつつ湖に向かって下りはじめる。」

ヘミングウェイの『移動祝祭日』にそのように出ています。
これは当時のカフェ「クロズリー・デ・リラ」での様子。ヘミングウェイは、原稿を書いている。そこに友人がやって来る場面なんですね。

今、『二つの心臓の大きな川』に、モカシンは出てきません。でも、初稿ではヘミングウェイは、ニックにモカシンを履かせていたことが窺える内容になっています。
どなたかキャンプに履いて行きたくなるモカシンを作って頂けませんでしょうか。

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