ペルシアは、今のイランのことですよね。昔はペルシア、今はイラン。
でも、イランよりペルシアの方が幻想的に想えるのは、なぜでしょうか。
ペルシアから想い浮かべるものに、フランスの思想家、モンテスキューがいます。
モンテスキューは1689年1月18日に、ボルドオに生まれています。
ペルシアからモンテスキュー。モンテスキューが1721年に、『ペルシア人の手紙』を発表しているからに外なりません。『ペルシア人の手紙』は、書簡体の小説。
ペルシアから巴里にやって来た人物の手紙という設定になっています。そこから逆に、当時の巴里の様子が窺える内容になっています。たとえば。
「飲む者に才気を与えるようにコーヒーをいれてくれる店が一軒あり、ともかく、その店から出てくる人たちのうちで、はいったときより四倍は才気があると思わぬ者はいない。」
モンテスキューは『ペルシア人の手紙』の中にそのように書いています。
これは巴里で最初のカフェだと考えられている「カフェ・プロコープ」でのことでしょう。イタリア、シチリア出身の、プロコピオ・コルテルリが開いた店。
もっともモンテスキューの時代には、巴里に多くのカフェがあったとも書いているのですが。
また、『ペルシア人の手紙』には、葡萄酒の税金が高いとも書いてあります。これはボルドオの酒造家としては当然のことでもあったでしょうが。
ペルシアが出てくる小説に、『背徳の人』があります。フランスの作家、アンドレ・ジイドが1902年に発表した物語。
「外套を脱がせると、濡れた長靴を無理にも柔らかなペルシアのスリッパに履きかえさせた。」
これは「メナルク」が、「マルスリーヌ」に対しての好意として。
また、『背徳の人』にはこんな描写も出てきます。
「スカートとブラウスはどちらも同じスコットランドのショール地で仕立ててあった。」
これは「マルスリーヌ」の服装について。
「スコットランドのショール地」。これは、ペイズリイ
Paisley のことかと思われます。手織りの高価なカシミア・ショールを、十九世紀になって、スコットランドの、ペイズリイで、機械織りに成功したもの。
どなたかペイズリイの上着を仕立てて頂けませんでしょうか。