神父は、ファーザーのことですよね。キリスト教での「ファーザー」は神父の意味であります。「父と子と精霊と」と言うではありませんか。
では、神父とはどんな人なのでしょうか。さあ。自分のことより、他人のことを思ってあげられる人のことではないでしょうか。他人優先。他人優先。言うは易く行うは難しでありましょう。
昭和五十七年に、曽野綾子が発表した伝記に、『コルベ神父物語』があります。これを読みますと、「神父」のことが分かってくるでしょう。
マキシミリアノ・コルベは、実在したお方です。1894年1月8日に、ポーランドに生まれています。お父さんの「ユリオ」は、織物職人だったという。
1904年、コルベが十歳の時、聖母マリアがあらわれて、冠を受けています。十三歳の時、司祭として生きる道を選んだとのことです。
1922年には、『汚れなき聖母の騎士』という雑誌をはじめてもいます。コルベ神父ひとりの力で雑誌を出す。困難の連続だったようです。
『汚れなき聖母の騎士』は、その後、日本語でも出版されるようになっています。それというのも、コルベ神父は日本に来ているから。
1936年、コルベ神父は長崎に着いています。その後、長崎の「本河内町」に、修道院を開いて。
1939年、戦争がはじまって。その時、一時帰国していたコルベ神父は敵軍に逮捕されてしまうのです。
1941年。収容所のあるポーランド人が、脱走。その脱走者の身代わりに自ら申し出たのが、コルベ神父だったのです。
1941年8月14日、コルベ神父、昇天。
神父が出てくる小説に、『娼婦の栄光と悲惨』があります。1843年に、オノレ・ド・バルザックが発表した長篇。
「神父様、あたしの身の上話は馬鹿みたいなものですわ」と彼女は答えた。
これは「エステル」という女性の科白として。
また『娼婦の栄光と悲惨』には、こんな描写も出てきます。
「………門番女は、男の短靴の飾りになっている銀の止め金に目をつけた。」
「銀の止め金」。シルヴァー・バックルでしょうか。
どなたかシルヴァー・バックルのモンク・フロント・シューズを作って頂けませんでしょうか。