ボストンバッグとホームスパン

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ボストンバッグは、鞄のひとつですよね。手下げ鞄。一泊旅行なんかには、最適のものでしょう。
必要と思われるものを勝手に投げ入れておける便利さがあります。日本では昭和のはじめ頃から流行になったものでしょう。もちろん、和製英語。アメリカのボストン大学のスポーツ・バッグにヒントを得たものだと、考えられています。

「………手に下げたボストンバッグ一つをあみ棚の上にのせることさえできなかったのである。」

昭和十九年に、久保田万太郎が発表した小説『樹蔭』に、そのような一節が出てきます。これはあまりにも列車が混んでいたので。
当時のボストンバッグは、いくらくらいの値段だったのか。およそ十三円前後。昭和十二年頃の話ではありますが。
1937年の三月から、「丸善」では『流行新相』というカタログ雑誌を創刊しています。この『流行新相』をずっと眺めておりますと、「ボストンバッグ」が紹介されているのです。
その「丸善」のボストンバッグには、二種あって。30センチ幅のものと、36センチ幅のものと。中サイズが、12円50銭。大サイズが、13円50銭となっています。口開きはファスナーではなく、中央のバックルで留める式です。材質はもちろん牛革。色は茶と黒とがあったようです。
『流行新相』には、随筆のページもあって。たとえば、式場隆三郎が、『ホーム・スパン』と題してエッセイを書いています。

「リーチはおぢいさんの着古したホーム・スパンをもってゐましたが、肘に革があてゝあるのです。ところが、革がやぶけたのに肌地の方はちやんとしてゐました。強いのに驚きました。三代着たのですからね。」

これは、冨本富吉から、直接聞いた話として。「リーチ」と出てくるのが、バーナード・リーチであるのは言うまでもないでしょう。
これは昭和四年頃の話として。
これも『ホーム・スパン』に出ている話なのですが。やはりスコットランドでホームスパンに魅せられたお方に、濱田庄司がいたとのことです。濱田庄司は昭和のはじめ、銀座の「鳩居堂」でホームスパンの展覧会を開いたとも、式場隆三郎は語っています。
「ホームスパン」homespun
は「家内織」。もともとは自分たちの衣類のために自分で織ったのがはじまり。紡毛の、平織。このホームスパンが後に進化して、綾織のトゥイードが生まれたのです。
どなたか頑丈なホームスパンで上着を仕立てて頂けませんでしょうか。

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