パフューム(perfume)

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記憶の使者

パフュームは香水のことである。香水の用途は広い。ほとんど無限でもあろう。風呂に入る時、一滴垂らしたり。昔、手紙に切手を貼るのに香水を使う男がいた。もちろん、恋文に。そう考えると香水も必ずしも女性専用ともいえないのかも知れない。

パフュームは、英語。フランス語で「パルファン」 perfum、イタリア語で「プロフーモ」 profumo 。これは皆、ラテン語の「ペル・フーム」per fumum から来ている。それは、「煙を通して」の意味であったという。

「煙を通して」の指し示すところは明快で、古代には香木を燃やして、薫香を得たのである。数千年の時を経て、今も香道では同じく香木が使われること、言うまでもない。

少なくとも古代エジプトには香木の習慣があったらしい。香木を炊き、薫香を立ち昇らせ、心を清め、神に祈りを捧げた。それは神聖な儀式であり、香りと祈りとが深く結びついていたものと思われる。

しかし古代エジプトには香木だけが使われたのではない。薫香をなんらかの油脂に移すことがあった。固くポマード状の香り。今もある練香に近い。

かのクレオパトラも「キャフィ」と呼ばれる練香を使ったとのこと。キャフィはローズ、クロッカスなどの佳い香りを油脂に閉じ込めたものであった。また、キャフィを持ち運ぶための器もあって、常に身辺に置く工夫がなされたらしい。

古代ローマにも練香があった。というよりも練香が男女ともに流行になったのだ。町には練香屋が軒を連ねるほどであったと、伝えられている。この練香屋のことを、「ウンゲンタリー」unguentarii と言った。今、英語で「アンゲント」 unguent といえば、「軟膏」の意味であるらしい。古代ローマの練香屋転じて、「軟膏」。古代ローマの練香がおよそどんな形であったのか、想像できるだろう。

今、香水から誰もが想起するのは、南仏、グラースであろう。高級香水の故郷がグラース、といって過言ではない。十二世紀のグラースは手袋の町であった。すでにグラースから国外にも、手袋が輸出されていた。手袋の革をなめすのにある薬品が使われる。だが、そのために臭いが残る。上質の手袋と佳い匂いとは密接につながっていたのである。

十六世紀になって、トレバリーという人物がグラースにやって来る。トレバリーは、イタリア、フィレンツェの出身であったという。トレバリーはグラースの地に、「香料手袋」を伝えたのだ。この香料手袋は人気となり、やがてグラースでは香料に力を注ぐことになる。手袋産業はグラースから、グルノーブルへと移ってゆく。

この世にアルコールが発明されたのは、十二世紀。アラビアの錬金術師によって。そしてこのアルコールで抽出された香りが、香水なのである。一般に香水のはじまりは「ハンガリー・ウォーター」であるとされる。ハンガリーの王妃、エリザベートが錬金術師に作らせたものであると。

またイタリアにも香水があった。カトリーヌ・ド・メディシスがフランス王、アンリ二世に嫁ぐのは、1547年のこと。この時の従者のひとりに、ルネ・ル・フロンタンという者がいた。ルネ・ル・フロンタンは調香師であった。フロンタンはアンリ二世に香料手袋を献上。このために、当時のフランス宮廷で香料手袋が流行ったという。

「大壜いっぱいの《ナポリの夜》、これがグルヌイユの初仕事だった。翌日、それは八十本の子壜となって人手にわたった。たちまち噂がひろがった。」

パトリック・ジュースキント著池内 紀訳『香水』( 1985年刊 ) の一節。ただし物語の背景は、十八世紀の巴里に置かれている。この物語の主人公は、グルヌイユという天才調香師という設定。グルヌイユの創った「ナポリの夜」が飛ぶように売れてゆく場面なのだ。

その頃の倫敦で人気のあった香りは、シベット。シベットは麝香猫から得られる動物性の薫香。これはむしろ男性用であった。

1800年、ファン・ファメニアス・フロリスはジョージ四世に香水を贈っている。洒落者でもあったジョージ四世がそれを愛用したのは、想像に難くない。

ウイリアム・ヤードレが倫敦に店を開いたのは、1770年の頃。その頃のヤードレは、ラヴェンダーの香りで有名であったという。

「「わたしの使ったいる香水、覚えておいて下さったのね。」 ( 中略 ) 香水売場でその名が私にほとんど無意識のうちに働きかけて、その品物を選び取らせたといえよう。」

吉行淳之介著『香水壜』 ( 昭和三十九年刊 ) の一文。これは吉行淳之介がある女性に香水を贈る場面。その香水は「タブー」。何気なく選んだタブーがたまたまその女性の愛用品であった。これはおそらく吉行淳之介の遠い記憶がそれを選ばせたのであろう。

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