ストックホルムとスカーフ

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ストックホルムは、スウェーデンの都ですよね。
そしてまた、ストックホルムは、フィーカの都でもあります。
「フィーカ」fika はコーヒーのことです。ストックホルムにコーヒーは欠かせません。
フィーカはもともと隠語だったもの。スウェーデンはその昔、「コーヒー禁止令」が出されたことありますので。
コーヒー禁止とは言っても、なかなかやめられるものでもありません。そこで大っぴらにはコーヒーと言えないので、「フィーカ」。
これは「カフィ」kaffi
をひっくり返して、「フィーカ」になったもの。最初は「逆さ言葉」だったのでしょう。今ではもちろん一般の言葉になっているのですが。
では、フィーカには何を添えるのか。たとえば、「クラッドカーサ」。クラッドには、「とろとろ」の意味があるらしい。濃い味わいのチョコレエト・ケエキ。スポンジの中身が、ふわふわとろとろ状態になっているので、「クラッドカーカ」。このクラッドカーカには、生クリイムをいっぱい添えて食べるんだそうですが。

大正四年に、ストックホルムを旅したお方に、小山内薫がいます。小山内薫は、日本演劇界の父とも言うべき人物であります。
小山内薫は大正四年。ベルリンから列車の二等にに乗って、ストックホルムに向かっています。当時の二等は、今のグリーン車に近いものです。紀行文の題は、『ストックホルムへ』になっています。
これはストックホルムへの列車の話が中心になっているので。
ストックホルムへの途中、「アルウェスタ」という駅に停まって。ちょうど昼時。駅の中に立派な食堂が。今でいう、ビュッフェ方式のレストラン。何をいくら食べても、75エーレ。当時の日本円で、四十銭だったと。

「一つ皿からサアジインを取れば、他の皿から舌肉か冷たいロオストビイフを取る事も出来ます」

小山内薫は、『ストックホルムへ』の中に、そのように書いてあります。また、列車内で、ある貴婦人と知り合いにもなって。ストックホルムでの宿として、「グランドホテル・ロワイヤル」を紹介されています。
たぶん小山内薫はストックホルムでは、「グランドホテル・ロワイヤル」に泊ったのでしょう。

1990年代にストックホルムを旅した染織家に、志村ふくみがいます。志村ふくみは染織家であると同時に、随筆家でもありまして。代表作は、『一色一生』でしょうか。

「夕刻、シリア・ラインのシンフォニ号でスウェーデンの都、ストックホルムに向う。想像もつかないほどの豪華船、無数の灯をまたたかせて、バルト海を渡る。」

志村ふくみは、『母なる色』と題する随筆集の中に、そのように書いています。
志村ふくみは、ロシアから船でストックホルムへ行ったようですね。
ロシアの前にはドイツにも滞在しています。ドイツではどんなことがあったのか。

「私は籠をもってリンゴをひろい、台所で炊いて持っていったスカーフを染めてみんなにあげた。淡いベージュとピンク」

志村ふくみは、そのように書いてあります。
お世話になった館の庭にリンゴがたくさん落ちていたので。
志村ふくみの手織りの絹。それを手染めに仕上げたスカーフ。貴重品であります。
どなたか手染めのスカーフを作って頂けませんでしょうか。

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