ロンドンは、イギリスの都ですよね。一時は「陽の沈まない国」と言われたものです。それくらい世界中に植民地を持っていたので。
昭和八年にロンドンを旅したお方に、和田三造がいます。和田三造は、洋画家。その一方で映画衣裳のデザインをも手がけているのですが。
衣笠貞之助監督、長谷川一夫、京マチ子共演の『地獄門』で、衣裳を担当。アカデミー賞の衣裳部門で賞を受けています。昭和二十八年のこと。
「特に千疋屋でさえも或る僅かな季節にしか得られないネクタリンや黄桃がうまうまと並べられてある。」
和田三造は紀行文『果物への羨望』の中に、そのように書いてあります。ホテルでの果物の防府のさについて。時は三月はじめ。三月のはじめのロンドンに、ありとあらゆる果物が揃っていることに、和田三造は驚いているのです。それというのも、和田三造はことに果物がお好きだったので。
「しかもその味は公平なところ日本の物より優れたいる。」
和田三造はそんなふうにも書いています。
「暖炉の火どころではない、料理味がよいのも、お茶が旨いのも、お菓子がおいしいのも悉くlovely であった。
昭和十三年にロンドンを旅した作家の野上弥生子は、『ロンドンの宿』にそのように書いてあります。
この「ロンドンの宿」は、実は個人の邸宅。場所はハムステッドにあって、以前ロンドン大学の教授の自宅を今は特別に宿としているんだとか。
もちろん、日曜日以外は、食事付き。六十くらいのハント女史が腕をふるってくれる。
特に、午後のお茶についても。
「四時過ぎから五時までのティー・タイムは、彼らには一種神聖なサーヴィスであり、地上の法悦であるらしい。」
そうも書いています。劇場であってもその時間になると、係の者が注文を聞きに来る。お茶の種類とお茶うけの種類とを。
その昔、ロンドンに旅した作家に、須賀敦子がいます。1993年に須賀敦子が発表した随筆『オリエント・エクスプレス』に詳しく述べられています。
須賀敦子の『オリエント・エクスプレス』は、お父さんからの手紙からはじまります。
「パパも同じ列車でスコットランドへ行きました。エディンバラでは、ステイション・ホテルに泊まること。」
須賀敦子のお父さんはある会社の社長。若い頃、ヨオロッパに遊学した経験を持っています。そのために、自分の娘にも同じ経験をさせたいのでしょう。
お父さんは1935年の末、神戸からヨオロッパに。途中、シベリア鉄道で。須賀敦子が、六歳の時に。
お父さんはイスタンブールから、オリエント・エクスプレスに乗ったという。だから、オリエント・エクスプレスに乗りなさい、と。
さて、須賀敦子がエディンバラに着いてみると、「ステイション・ホテル」はあまりに豪華で、泊まることがためらわれたとも書いています。
エディンバラの駅に着いた時の様子として。
「仕立てのいい靴がデッキに立つのが見え、深い緑のローデン・コートの紳士がまず身軽にひょいと降り立ち」
須賀敦子はそんなふうに書いてあります。
「ロオデン」Loaden は、もともとスイスのちいさな町の名前。ここで織られていた厚い紡毛地のこと。その紡毛地で仕立てた外套なので、ロオデン・コート。
必ず共地のフードが付いた、Aラインのコート。1960年代のヨオロッパでは、とても流行ったもの。紳士用ばかりではなく、女性用も子供用もありました。
どなたか1960年代のロオデンを復活させて頂けませんでしょうか。