ニットと二重廻し

ニットは、編物のことですよね。knit と書いて「ニット」と訓みます。
ニットは古代英語の「ニッタン」cnyttan から来ているんだそうです。それは「結ぶ」の意味。編むことはたぶん糸を結ぶことからはじまっているんでしょう。
生地は縦横の二本の糸で織ります。これに対して編物は、一本の糸で編む。歴史としては織るよりも編むほうが古いのです。
織地には織地の良いところがあり、編地には編地の良いところがあります。
編地はまず第一に、伸縮自在。それは靴下を履いてみるとすぐに理解されるでしょう。

「編物の稽古ハ、英語よりも面白いとみえて、隔晩の稽古を樂しみにして通ふ。」

明治二十年に、二葉亭四迷が発表した小説『浮雲』に、そのような一節が出ています。これは「お勢」という若い女性についての話として。少なくとも明治十年代には編物の稽古所があったものと思われます。

「かれは編物の手袋を嵌めたるその手にぶら提灯を携へたり。」

明治二十八年に、泉 鏡花が発表した『夜行巡査』にそのような描写が出てきます。これは夜の半蔵門あたりでも目撃として。
「編物の手袋」。おそらくは手編の手袋だったと思えるのですが。
手袋はひとつの例で。もし生地で手袋を仕上げようとすると、骨が折れます。しかも使い勝手ははるかにニットのほうが優れていることでしょう。

「体の線をはっきり見せるニットのドレス、白っぽい金髪を裸の腕でかきあげながら、彼女はまずそうにウオツカのコップを口に運んだ。」

昭和四十一年に、五木寛之が発表した『さらばモスクワ愚連隊』に、そのような描写が出てきます。
これは当時のバアで出会った十七歳くらいの若いロシアの女性について。たしかに身体の線を見せるにもニットは有利なのでしょう。
五木寛之は実際に、昭和四十年にロシアに旅していますからね。
この『さらばモスクワ愚連隊』により、「直木賞」を受けて、作家として出発しています。
編物が出てくる小説に、『斜陽』があります。太宰 治が昭和二十ニ年に発表した代表作。

「ことしの春にいちど編みかけてそのままにしてゐたセエタを、また編みつづけてみる気になったのである。」

これは「かず子」という女性の思いとして。なるほど、編物はいつでも好きな時に編めますからね。
また、『斜陽』にはこんな描写も。

「さう言つて、もう二重廻しをひつかけ、下駄箱から新しい下駄を取り出しておはきになり、さつさとアパートの廊下を先に立つて歩かれた。」

これは「上原」という男の様子。
二重廻しは、インヴァネスの改良外套。着物の上に着て合うように着丈が長いものです。
太宰 治は冬になると二重廻しを愛用したこと、言うまでもありません。
どなたか二重廻しを復元して頂けませんでしょうか。