インクは、ペンにつけて文字を書くための液体ですよね。
いくらペン立派でもインクがないことには、文字が書けません。
万年筆もインクなしでは紙の上での滑りが悪い。インクは万年筆にとっての潤滑油でもあるのですね。
インクがあるからこそすらすらとかけるのです。
ink と書いて「インク」と訓みます。
でも、昔の日本では、「インキ」と言ったんだそうですね。
「黒い印気と鼠の鉛筆が、ちら、ちら、ちら、と黄色い表紙迄来て留つた。」
明治四十年に、夏目漱石が発表した小説『虞美人草』に、そんな一節が出てきます。
漱石は、「印気」の字を宛てているのですが。この宛字はさておき、漱石の頭の中では、「インキ」だったのでしょうね。
夏目漱石は『虞美人草』ばかりではなく、たいていの場合、「印気」と書き記しています。
さらには漱石のみならず、明治の文豪は多く「インキ」の文字を遣っているのです。
余談ではありますが。夏目漱石は原稿を書く時、セピア色のインキがお好きだったらしい。
♪ 黒いインクがきれいでしょう……
井上陽水の『心もよう』に、そんな歌詞が出てきます。黒のインクも青いインクも好みなのでしょう。それはともかく昭和の時代には「インク」だったに違いありません。
では、いったいいつ、「インキ」が「インク」になったのか。さあ。
昭和五年に、井伏鱒二が書いた作品に、『休憩時間』がありまして。この中に。
「あるとき私達は机の上に角帽を置き、その上にノートやインクを載せて約四十分間の休憩時間を雑談に耽ってゐた。」
そんな一節が出てきます。
これは当時の早稲田大学での教室で。この時代の早稲田大学の教室は二階で、一階には、下足預りがあったという。
井伏鱒二が早稲田に入ったのは、大正六年。卒業したのが、大正九年。
そして『休憩時間』を書いたのが、昭和五年。
ということは、大正の終りから昭和のはじめにかけて、「インキ」が「インク」になったのではないでしょうか。
インクが出てくるミステリに、『灰色の女』があります。
1898年に、A・W・ウイリアムスンが発表した小説。
「ほら、羊皮紙の天辺のところの、インクの消えかかった飾り文字の間に、一六五一年という日付が見えるだろう? 」
これはウイルフレッド・アモリー卿の言葉として。
また、『灰色の女』には、こんな描写も出てきます。
「私がイートンジャケットを着てぴかぴか光るシルクハットを被り、」
これは物語の主人公、テレンス・ダークモアが学生だった頃の想い出として。
イートン・ジャケットはごく簡単に申しますと、「尾のない燕尾服」。もちろんイートン校の制服ですね。
シャツのカラアを、上着の上に出して着るのが、なによりの特徴。
どなたか街でも着られるイートン・ジャケットを作って頂けませんでしょうか。