インクとイリデセント

インクは、西洋の墨のことですよね。
ペン先にインクをつければ、文字を書くことができます。
日本に墨があるように、、西洋にはインクがあるのでしょう。
日本の墨のことを、西洋では「インディアン・インク」と呼ぶらしい。
その昔、「東インド会社」が、日本の墨をイギリスに伝えたことがあるので。
また英語には、「インクホーン・ターム」の言い方があるとのこと。これは「いかにも学者らしい言葉のこと」なんだそうですね。
昔むかし、インクは角製のインク壺に入れておいたからでしょう。

「学者面した阿呆どもに侮辱されるのを見すごすくらいなら、」

シェイクスピアが、1592年頃に書いた『ヘンリー六世』に、そのような科白が出てきます。
ここでの原文は、「インクホーン・メイト」になっています。
少なくともシェイクスピアの時代から、インク壺と学者とは、関係があったようですね。
では、日本ではどうだったのか。もちろん墨と硯がそれに代わるものだったでしょう。硯の上で墨をする。それで墨をおろしたわけであります。
でも、旅先ではどうしたのか。
「矢立」がありました。西洋に万年筆があるのに似て、矢立が。携帯用の筆記用具。万年筆よりも歴史は古い。
そもそもは、矢を入れておく筒に添えて、携帯用の筆を入れておいた。たとえば、戦場で手紙を書く時のために。
後の時代にこれが独立したので、「矢立」。
綿に墨を染み込ませておいて、組立式の筆で、書いた。
出先で帳面に書くにも便利だったでしょう。
松尾芭蕉の『おくのほそ道』にも、組立が出てきます。

行春や 鳥啼魚の 目は泪

あまりにも有名な句であります。
この句につづけてすぐに芭蕉はこう書いているのですね。

「是を矢立の初として行道なほすゝまず、」

元禄二年(1689年)三月二十七日のこと。
この日は見送りの人が多くて。また、芭蕉にも後髪引かれる想いがあったに違いありません。
それで「行道なほすゝまず」になったのではないでしょうか。
それはともかく、『おくのほそ道』に、芭蕉が矢立を携えていたのは、その通りでしょうね。
インクが出てくる戯曲に、『十二夜』があります。シェイクスピアが、1600年頃に書いた物語。
『十二夜』の初演は、1602年2月2日のことだと考えられているのですが。

「阿呆、頼む、インクと紙とあかりだ。おれが手紙を書くからそれをお嬢様に届けてくれ。」

これは第四幕での、「マルヴォーリオ」の科白として。
また、『十二夜』には、こんな科白も出てきます。

「仕立屋に玉虫色の服を作らせるといいぜ、あんたの気分が変わるたびに変わった色に見えるだろう。」

これは「道化」が「公爵」に対しての言葉として。
「玉虫色」は、「イリデセント」iridescent でしょうか。
「イリデセント」はもともとは「虹色」の意味だったという。
今でもイリデセントの生地はあります。たとえば、縦糸にブルウ、横糸にグリーンを配して織ると。角度によってブルウにも、またグリーンにも思える生地になります。
どなたかイリデセントの生地でスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。