戦争とセルジ

戦争は、軍(いくさ)のことですよね。
英語なら、「ウォー」でしょうか。
軍であろうとウォーであろうと、あってはならないことです。
でも軍と言わなければ、ウォーと口にしなければ戦争は起きない。というわけでもありません。だからこそ「戦争反対」の言葉があるのでしょう。
あるいはまた、「戦争文学」があります。
戦争文学を書いたお方に、大岡昇平を挙げることができるでしょう。
一つの例ではありますが。『俘虜記』。
昭和二十三年、大岡昇平は『俘虜記』を発表しているのですね。大岡昇平、三十九歳の時に。『文學界』での発表。

「私は昭和二十年一月二十五日ミンドロ島南方山中において米軍の俘虜となった。」

これが『俘虜記』の第一行。
大岡昇平の自身の体験を基にかかれた戦争文学なのです。
大岡昇平にぜひ『俘虜記』を書くように薦めたのが、小林秀雄。
大岡昇平が日本に帰って来たのが、昭和二十年の十二月。
昭和二十一年一月に東京に。そこで小林秀雄に会って、「ぜひ書くように」と。
大岡昇平はすぐに書いた。でも、いくつかの事情があって。
昭和二十三年まで待つことになったという。
戦争が出てくる小説に、『森のバルコニー』があります。
1958年に、フランスの作家、ジュリアン・グラックが発表した物語。
時代背景は、第二次世界大戦に置かれているのですが。
場所はベルギー国境に近いアルデンヌの森になっています。
作者、ジュリアン・グラックもまた戦争体験があり、一時、捕虜にもなっているのですが。

「汽車がシャルルヴィルの郊外を過ぎ、町の煤煙も見えなくなると、見習士官グランジュにはこの世の汚れが次第に消え去ってゆくように思われた。」

これが冒頭部分。「グランジュ」が、ジュリアンの分身であるのは言うまでもないでしょう。
『森のバルコニー』を読んでおりますと。

「そしてタバコに火をつけながら、あおむくようにしてサージの車席の背に頭をもたせかけると、はるかな高み、斜陽を受け、光を帯びて走り去る断崖の頂きを目に追った。」

列車の座席の布がサージだったのでしょう。
サージ。フランス語なら、「セルジ」serge でしょうか。
どなたかラヴェンダーのセルジでスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。