パーフューム(perfume)

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液科宝石

パーフュームは香水のことである。佳い匂いの水。古くは「香水」 ( こうずい ) と訓んだらしい。

パーフュームは英語、フランスでは「パルファン」 parfum。イタリアでは、「プロフーモ」 profumo となる。これはすべてラテン語の「ペルフームス」perfumus から来ている。もちろん「煙の通して」の意味である。

「パーフューム」の源は、その昔、香木が用いられたことを雄弁に物語っている。白檀はよく知られた一例で、薫りの佳い木を燃やすことで、今の香水の代りとしたのである。

香木の歴史はインド、中国にはじまり、やがてヨーロッパに伝えられたものである。香木を焚くことで邪気を払い、心を鎮めようとしたのであろう。つまり宗教的儀式にも使われた。ここから権威の象徴ともなる。金銀宝石が王侯貴族の象徴でもあったように、香料もまた権威者にふさわしいものであったのだ。

香木に次いであらわれたのが、香油。消えやすい薫りを脂に閉じこめることで、永く使える工夫であった。香油の次に発明されたのが香水である。

「今日の香水の形ができたのはヨーロッパの人たちがアラビア人の発明した蒸留器 ( ランビキ ) を知ってから後のことで……」

小幡弥太郎著『暮しのなかの匂い』 ( 昭和三十四年刊 ) には、そのように書かれている。ランビキは「蘭引」の字が宛てられたこともあり、アランビックのこと。アランビックの発明があったからこそアルコールが生まれ、後にブランデーなども造られるようになったのだ。つまり香水とブランデーもどころで親戚なのである。

「身体中まるで化粧品屋の番頭然として香水を匂わせている。」

シェイクスピア作『ヘンリー四世』での、ホッパーの科白。原文では「パーフューム」の言葉が使われている。第三場、ウインザー、王宮での場面に出てくる。これはある若い貴族紳士についての形容なのだ。

『ヘンリー四世』は1597年ころの作と考えられている。少なくともシェイクスピアの時代、香水を使う男がいたのだろう。いや、シェイクスピアは『じゃじゃ馬ならし』の中にも香水を登場させている。シェイクスピアは若い頃、舞台俳優でもあった。あるいはシェイクスピアも香水を使っていたのではないか。香水はともかく、今に遺された肖像画を見る限りピアスの愛用者であったことは間違いないのだが。

一方、フランスでは古い香水店としては、「ウビガン」 Uoubigant がある。1775年、パリ、フォーブル・サントノーレに店を開いている。店主の、ジャン・フランソワ・ウビガンは1752年の生まれであったというから、この時二十三歳であったわけだ。「ウビガン」は総合香料店で、手袋も扱い、香水も扱った。はるか遠い昔から手袋と香水とは深い縁で結びついている。佳い匂いの手袋は貴重品とされたからである。

「ウビガン」の香水などを多く愛用したひとりが、ナポレオン・ボナパルト。戦に行くにも大量の香水を運ばせた。ナポレオンにとって香水のない毎日は考えることができなかった。

1821年、セント・ヘレナで最期の時を迎える時も、そこには「ウビガン」の香水の香りが漂っていたという。

1838年、英国でヴィクトリア女王は「ウビガン」に、ロイアル・ワラントを与えている。

「ウビガンのフジェール・ロワイヤルの香りーー何という不思議な森や野の息吹きとなることよーー」

フランスの作家、ギイ・ド・モーパッサンはある手紙の中で、そのように書いている。「フジェール」 fougeres は、「羊歯」のこと。ウビガンは羊歯の香りを活かすこと、巧みだったのである。

「もっともオーテコロリといへる香水をつかふとみえてかみのけのつやよく……」

仮名垣魯文著『安愚楽鍋』 (明治三年刊 )の一文。これは年の頃、「三十四五の男」と説明されている。明治のはじめ、すでに香水を使う男がいたものと思われる。

「宿舎は全員同じホテルですから、朝食をとりにエレベーターに乗りあわせたとき、十人が十人とも、申しあわせたようにラベンダーの香りを発散させていました。」

堅田道久著『香水』には、そのように出ています。堅田道久は日本を代表するパーフューマー ( 調香師 ) 。1964年、ブルガリアの、ソフィアで開かれた国際会議の時の様子。

おそらく堅田道久自身もこの時、ラヴェンダーのパルファンを使っていたのであろう。

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