モスリン(muslin)

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郷愁開花布

モスリンは薄く、滑らかな、ウールの平織地のことである。シンプルといえば、これほどシンプルな素材も珍しいのではないか。そのために、応用範囲の広い素材でもある。
モスリンは今となっては懐かしい生地だ。ことにモスリンは長襦袢に用いられた。女物の長襦袢もあり、男物の長襦袢もあった。
モスリンは梳毛地ではあるが、捺染に向く生地でもあった。そこでいかにも和風の柄を配して、多く長襦袢に仕立てられたりした。もちろん子ども用の着物地でもあった。
すべて過去形で語ってはいるが、モスリンがまったく消えてしまったわけではない。今なお京都ではモスリンを織っている所があるらしい。古いといえばそれまでのことではあるが、一部に熱狂的なモスリン愛好家がいるものとみえる。

「細い梳毛の単糸を用い薄地に織り上げた柔軟な平織の梳毛織物。」

『原色染織大辞典』には、そのように説明されている。ここで注目されるのは、「梳毛織物」となっていること。日本でふつうモスリンといえば、ごく自然にウール・モスリンを意味するのだ。
日本での「モスリン」はおそらく英語のモスリンから来ているものと思われる。ただし英語では「マズリン」 muslin に近い発音のようである。そして英語で「マズリン」といったなら、まず例外なく、コットン・モスリンを意味する。英国での綿モスリンが日本に入って来て、毛モスリンになった、そうも言えるであろう。
そもそものモスリンは十三世紀のモスル Mosul にはじまるというから、古い。モスルは今日のイラク北部の都市名である。それはコットンによる平織地であった。
このモスルでの平織地をヨーロッパに広めたのが、アラビア商人であった。アラビア商人はこの生地に、「モセリーニ」 mosselini の名を与えたのである。
モセリーニはイタリアに伝えられて、「ムッソーロ」 mussolo と呼ばれることになる。イタリアのムッソーロはフランスに渡って、「ムスリーヌ」 mousseline となるのである。
そしてさらに英国に齎されて、「マズリン」 muslin の言葉が生まれるのだ。イギリスでの「マズリン」は、1609年頃から使われているらしい。

「一枚は無地のモスリン、もう一枚はストライプ柄のモスリン……」

1706年『ロンドン・ガゼット』紙の一文である。少なくとも十ハ世紀の英国ではモスリンが一般的に使われていたに相違ない。そして英国での「マズリン」もまた、コットン・モスリンであったと思われる。
ところがフランスでは綿モスリンを手本として、ウールによるモスリンが織られる。これが「ムスリーヌ・ド・レーヌ」である。同じようにシルクでのモスリンもあった。「ムスリーヌ・ド・ソワ」である。この「ムスリーヌ・ド・レーヌ」も、「ムスリーヌ・ド・ソワ」もそのまま英語化されて、織物業界では今も使われる。

「ムスリーヌとはシルク・モスリンのことであって、シフォンよりも繊細、ヴォイルよりも固い。薄く、張りのあるフォーマルな生地。イヴニング・ウエアや、カラー、カフスにも向く。」

『テキスタイルの百科辞典』にはこのように解説されている。もちろんこれは絹モスリンを語っているのだ。そう言われてみると、シルク・モスリンのシャツを着てみたいものである。

「モスリン、メリンス、唐縮緬、フクリン、皆異名同物なり。モスリン、外國にてはマスリンといふ。薄き木棉又は麻木棉布なり、邦人之をモスリンと發音することに起きる。」

石井研堂著『明治事物起原』にはこのように、述べられている。明治のはじめ、すでにモスリンが知られていたことが窺える。そしてまた、モスリン以前には「メリンス」と呼ばれていたことも。もし「メリンス」を明治語だとするなら、「モスリン」は大正語であろうか。

「金高の嵩むものは金巾、メリンス唐桟そのほかすべて……」

福澤諭吉著『通俗国権論』 ( 明治十一年刊) 。福澤諭吉が日本経済について語っているところに、「メリンス」が出てくるのだ。メリンスが今のモスリンであることは、言うまでもない。
メリンス ( モスリン ) が日本ではじめて織られるのは、明治十年、京都、白川であったという。おそらくそれは綿モスリンであったと考えられる。

「是非とも此の悪弊を一洗せねば、結局洋巾メリンス等の西洋物にますます落を取られて……」

明治十五年『東京日々新聞』二月十四日付の記事。見出しには、「木綿の丈尺不足で、信用甚だしく失墜」と、書かれている。
おそらく国産モスリンのなかに、用尺の足りないものが含まれていたのであろう。それはともかく明治十五年には、綿モスリンが織られていたのだ。そしてそれは輸出用ではなかったか。もしそうであるとするなら、この綿モスリンをウールに置き代えることで毛モスリンが国内用にはじまったものではないだろうか。

「微 ( ほの ) 見ゆる襦袢の襟の白モスリンは……」

二葉亭四迷著『其面影』 (明治三十九年刊 ) の一文。これは時子という女の姿。「襦袢の襟の白モスリン」。これはコットン・モスリンだったのか、ウール・モスリンだったのか。

「眞白なモスリンの着物を着て大きなリボンを装した少女達や……」

有島武郎著『或る女』 ( 大正八年刊 ) の一節にそのように書かれている。これは間違いなく毛モスリンであろう。捺染をしていないモスリンということであろうか。
モスリンは古いのか。モスリンは郷愁なのか。しかし先達の知恵を受け継いでゆくのも、二十一世紀の我われの務めではないだろうか。

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