歌舞伎は日本の伝統芸能ですよね。
でも、意外に西洋にも影響を与えているらしい。
たとえば昭和二年に、歌舞伎のロシア公演の時。二代目左團次の「見得」が話題に。ことに左團次の演技に感動したのが、映画監督の、エイゼンシュテイン。エイゼンシュテインは映画『イワン雷帝』に「見得」の手法を取り入れたんだそうです。
この『イワン雷帝』の映画音楽を担当したのが、プロコフィエフ。もちろん、セルゲイ・プロコフィエフ。エイゼンシュテインも、セルゲイ・エイゼンシュテイン。『イワン雷帝』は映画監督と、音楽担当が同じ名前だったわけですね。
プロコフィエフに、『ピアノ協奏曲第三番』があります。これは1921年の夏、パリで完成したという。演奏旅行の途中に。初演は、1921年の12月。アメリカで。シカゴ交響楽団。ピアノ独奏は、プロコフィエフ自身だったそうですが。
プロコフィエフの『交響楽団第五番』の初演は、1945年の1月。モスクワで。
1945年にポルトガルを目指したのが、ボーヴォワール。2月27日の夕刻にパリを発って。パリに戻ったのは4月のはじめ。その時には、お土産をたくさん持っていたそうです。
「ポスト、カミュ、ヴィトルドにはナザレの漁師の着ているいろんな色の格子のスポーツシャツをあげた。」
ボーヴォワール著『或る戦後』に、そんなふうに出ています。カミュも着ただろう「漁師のシャツ」どんなスタイルだったのか。
なにかお気に入りのシャツで。歌舞伎を観に行くとしましょうか。