ローリーとピンド・カラー

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ローリーで、英国人で、ジャガイモで。ここから想起されるのは、たぶんウォルター・ローリーでしょう。
十六世紀の英国で、エリザベス女王に寵愛された、臣下。探険家にして,詩人でもあった人物。英国にジャガイモを伝えたのは、サー・ウォルター・ローリーだった、との説もあります。また、ぬかるみに自分のマントを拡げた話でも知られています。ある日、エリザベス女王が馬車から降りようとして、ぬかるみのあることに気づいた。その時、たまたま近くに居合わせたローリーが、マントを脱いで、女王の足許に敷いたというのですが。
ウォルター・ローリーは、たいへんな美男子だったそうですね。かてて加えて、たいそうおしゃれでもあった。ローリーを描いた肖像画に、白いサテンのダブレットを着たものがあります。そのダブレットには大粒のパールが鏤めらていて。あまりにもその真珠が大きいので、ある人が以前、ローリーの使用人だった人に尋ねた。「ほんとうにあの絵にあるような大きさだったのか?」と。すると、元使用人は、言った。
「はい。まさしく絵と同じくらい大きいパールでした」と。
オーブリー著『名士小伝』に出ている話です。このウォルター・ローリーと友人だったのが、詩人のスペンサー。エドマンド・スペンサー。スペンサーの父、ジョン・スペンサーは仕立屋だったとも、生地屋であったとも伝えられているのですが。
スペンサーもローリーも、生まれた年が定かではありません。が、ともに、1552年ころではないか、と。いずれにしても、スペンサーとローリーとは、ほぼ同い年だったと思われます。英国宮廷にスペンサーを紹介したのが、ローリーだったのは、まず間違いないところでしょう。
スペンサーは、ケンブリッジ大学、ペンブルック学寮に学んでいます。かなり後になって、スペンサーが住んでいた部屋を改修した時。羽目板の裏から、書き損じの詩の原稿が何枚も出てきたそうですね。
エドマンド・スペンサーと、同じ綴りのSpenser が、探偵の「スペンサー」。もちろん、ロバート・B・パーカーのミステリなんですが。スペンサー自身が人に問われて、言う。
「スペンサー。詩人のスペンサーと同じ綴りだ」と。まあ、気障といえば気障ですが。ロバート・B・パーカーの代表作とされるのが、『初秋』。この中に。

「細い縞のピンクのネクタイ、ピン・カラー、黒いグッチのローファー、という身なりだった。」

これは、スティーヴン・コートという男の着こなし。「ピンド・カラー」。または、「アイレット・カラー」とも。シャツの襟をピンで留めるスタイルのこと。
上着を真珠で飾ることはできません。でも、襟にピンを挿すくらいならできるかも知れませんね。

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