キャサリンとキャラコ

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キャサリンは、女の子の名前ですよね。
キャサリンで、女優でといえば、キャサリン・ヘップバーンでしょうか。
キャサリン・ヘップバーンは、本名。フル・ネイムは、キャサリン・ホウトン・ヘップバーン。1907年5月12日に、コネティカットに生まれています。
キャサリン・ヘップバーンは、ズボンを偏愛した女優です。演じる役によってはドレスやスカートのこともありました。が、私生活ではまず例外なく、ズボン。
1930年代以降のことですから、ズボン姿の女優はユニイクだったでしょう。ある時、TVに出演した時。司会者がヘップバーンに訊ねた。「スカートはお穿きにならないんですか?」。これに対するキャサリンのひと言。

「あーら、貴女のお葬式用にとってあるのよ!」

キャサリン・ヘップバーンは一事が万事この調子で。仕事の上でも「キャサリンの直言」が問題になったこともあるようですが。

1951年。キャサリンがボギイと共演した映画に、『アフリカの女王』があります。
なにかと煩いキャサリンがどうして『アフリカの女王』に出演することになったのか。結局は「汚れ役」になるかも知れないのに。
キャサリンは原作の『アフリカの女王』に感動したから。小説『アフリカの女王』は、英國人、セシル・スコット・フォレスターの作。時代背景は、1914年。
キャサリン・ヘップバーンは、英國人宣教師、ローズ・セイヤーに扮するわけですから、当時のドレス姿であります、もちろん。でも、カメラが回っていないところではズボン、もちろん。

「シャワーを浴びたあと、農園の労働者が着るような上衣とズボンを身につけた。シャークスキンの上下だ。

キャサリン・ヘップバーン著『「アフリカの女王」とわたし』には、そのように書いています。たぶん、キャサリンは1950年代の、アフリカの奥地で、シャークスキンのシャツ・スーツに似たなにかを、着ていたのでしょう。
1950年代、アフリカ奥地でのシャワー。暑い気候なので、湯に沸かす必要なし。常温の水で心地よい。でも、実際は空罐に紐をつけて、シャワー。紐を引くと、コップ一杯分くらいの水が。
その頃にキャサリンの髪は長くて。朝と夜、一日に二回、髪を洗う。そのための現地の助手がバケツで湯を沸かしくれたそうです。『「アフリカの女王」とわたし』には、キャサリンが髪を洗っている写真が添えてありますから、嘘偽りのない話でしょうね。

キャサリンが出てくる小説に、『床屋コックスの日記』があります。1840年に、
ウイリアム・サッカレエが書いた物語。

「 キャザリン女王の衣裳を型とったコロネットを着て、その上から、金モールのついた、からだにぴったり合ったジャケツを羽織り……………………。」

これは、床屋コックスの女房が、「馬上試合」を観に行くので、おめかしをしている場面。

また、サッカレエの『床屋コックスの日記』には、こんな描写も出てきます。

「………羽根のくっついた高帽子をかぶって、首も腕もむき出しにして、ふさふさとした捲き毛を見せ、膝まであるキャラコのフロックを着ていようというんだから。」

これは、「アナトール」という男性の着こなしとして。
キャラコ。英語なら、「キャリコ」c al ic o でしょうか。平織の綿布のこと。インドの積出港、カリカット C al ic ut から出た言葉だと考えられています。
サッカレエの時代には、キャラコのフロックがあったのでしょうね。

「帶は南京繻子と更紗形のキヤラコの晝夜帶。藍鼠縮緬の膝蔽を長目に締め……………………。」

明治二十九年に、廣津柳浪が発表した『淺瀬の波』に、そのように出ています。
小説にあらわれた「キャラコ」としては比較的はやい例と言えるでしょう。
どなたかキャラコのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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