フレデリックとプラッシュ

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フレデリックは、男の子の名前ですよね。世にフレデリックの名前は少なくないのではないでしょうか。
たとえば、フレデリック・クック。フレデリック・クックは、1908年に北極地点を発見した人物であります。
フレデリック・クックは、1908年3月。グリーンランドのアンヌトックを出発。一行は、
11人。犬、130頭であったという。

「ブルックリンのフレデリック・クック博士、極地を発見せり。」

1909年『ニュウヨーク・ヘラルド』紙9月1日号は、そのように伝えています。
実際に、フレデリック・クックが、北極地点を「発見」したのは、1908年4月21日のことであったという。
ところが、その直後、「私がはじめて北極地点に到着………。」

という人物があらわれて論争になったことが。でも、「発見」と、「到着」とは同じことではありませんからね。

フレデリックが出てくる滑稽小説に、『馬丁粋語録』があります。
『馬丁粋語録』は、1839年に、サッカレエが発表した物語。

「ねえ、フレデリックさま、あなたはどうしてそう、御自分のことをお匿しになるの?……………………。」

これはメリーが旦那の「フレデリック」に対しての科白として。
とにかく『馬丁粋語録』なのですから。十九世紀英國の、「馬丁」の言葉で書かれた文章。
それを日本語に訳したのが、平井呈一。
平井呈一は、明治三十五年に、今の平塚にお生まれになった、英文學の翻訳家。平井呈一は、昭和五十一年に、七十四歳で世を去っています。その間、一度のも洋服を着ることがなかったという。和服愛好家。

「………むかしの人力車夫を思い出しながら、あのてあいのことばを……………………。」

平井呈一は、『馬丁粋語録』を訳すのに、大正期の「車夫」の言葉を、想い浮かべていたそうですね。
『馬丁粋語録』をはじめ、サッカレエは主に庶民生活を描いた作家で。1830年代の英國の一般市民の風俗を識る上でも貴重であります。

「おふくろの野郎は、あっしのことを、ちゃールズ・ジェイムズ・ハリングトン・フィッツロイ・イエロープラッシュと呼んでいやしたが、こいつはね……………………。」

『馬丁粋語録』は、このイエロープラッシュの語りからはじまるのですね。イエロープラッシュは、三十七歳で、馬丁という設定になっています。
「イエロープラッシュ」y ell ow pl ush が、「黄色いふらし天」の意味であるのはいうまでもないでしょう。
サッカレエの時代、「イエロープラッシュ」のチョッキは、「お抱え馭者」の制服だっとという。今でいえば「お抱え運転手」でしょうか。
いずれにしても、イエロープラッシュでウエイストコートを仕立てることがあったと思われるます。
プラッシュ pl ush は、ビロードに似ている生地。毛足の長いビロード。
シルクハットの材料はまず例外なく、プラッシュであります。毛足の長いプラッシュを一定方向に寝かせて、固めたのが、シルクハットの本体なのです。
どなたかプラッシュでチョッキを仕立てて頂けませんでしょうか。

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