リモージュは、フランスの地名ですよね。リモージュはまた、陶器の「リモージュ焼」でも有名な所。
かの絵師、ルノワアルは、リモージュに生まれています。1841年2月25日に。ルノワアルのお父さんは、仕立屋だったと伝えてられています。
ルノワアルは少年の頃、リモージュの絵付け職人となり、そこから巴里に出て、画家となった人物であります。
リモージュに住んだ日本の作家に、島崎藤村がいます。大正三年頃のこと。西暦の1914年ということになります。今から百年以上前の話ですが。
島崎藤村はリモージュに移る前は、もちろん巴里に住んでいました。巴里の街に乳売りがやってくる、のんびりした様子をも書いています。
「山羊の乳を賣りに來る男が朝早く斯の町を通ります。」
『巴里の五月』という随筆に、そのように書いています。大正二年頃のこと。
山羊の乳売りは、数頭の山羊を連れて、笛を吹きながら、来て。呼びとめる者があると、その場にとどまって、乳を絞ってくれたんだそうですね。
藤田嗣治も同じような話を書いていますから、巴里の風物詩だったのでしょう。
でも、島崎藤村はどうして巴里からリモージュに移ったのか。疎開。第一大戦中、巴里も危くなってきたので、もっと郊外に避難したのです。
巴里の下宿のマダムの実家がリモージュにあって、マダムのお姉さんが住んでいた。その縁故からリモージュへ。
島崎藤村はリモージュでしばらく暮した後、ふたたび巴里に戻るのではありますが。
「今日は獨逸軍の先鋒が國境のリイルに迫つたとか…………………。」
島崎藤村は『リモオジュの客舎にて』と題する随筆に、そのように記しています。
文中の「リイル」は、リール L i l l e のこと。やがてベルギー国境に近い、フランスの都市。十二世紀以来、ウール産業で栄えた町。その後も上質のコットンでも知られた所。
このL i l l e の古名が、L is l e で、英語訓みでは、「ライル」。「極上綿糸」の意味になります。ひと時代前までは、ライル・コットンの靴下は、高級品とされたものです。
なにかお気に入りの靴下で、リモージュを旅したいものであります。