フロックは、フロック・コートのことですよね。
「長上着」であります。着丈の長い、ダブル前の上着。だいたい膝丈くらいの長さでしたね。
十九世紀のはじめまでは、昼間の日常着だったのです。フロックを夜になると、燕尾服に着替えたわけです。
フロック・コートは、丈の長い、両前ですから、馬に乗り降りするには、邪魔になって。そこで、前裾を斜めに切り落として、モーニング・コートが生まれたのです。もし、フロックがなければ、モーニングも誕生してはいなかったでしょう。
fr ock と書いて、「フロック」と訓みます。古くからの「上着」の意味を持っていた言葉です。
では、フロックなりフロック・コートの言葉が、日本ではいつ頃から用いられていたのでしょうか。さあ。
「………但し御客の内でも袴羽織、或いは「フロックコート」唱ふる、袴羽織の代服を勤むる西洋服着たる方も間々見へたり。」
明治八年『東京日日新聞』二月七日付の記事に、そのように出ています。たぶん、新聞記事の中での「フロックコート」としては早い例でしょう。小見出しは。
「森有礼のハイカラ結婚式」。「福澤諭吉を證人の結婚契約書」。
そんなふうに書かれています。明治八年二月六日、午前十一時。築地采女町の、森有礼の自宅で、結婚式が行われて、その時の様子なんですね。
新婦は、「広瀬阿常」。新婦もまた西洋服だったと、『東京日日新聞』は伝えています。
森有礼は、伊藤博文内閣での、日本最初の文部大臣であった人物。
慶應元年に、密かにイギリスに渡って、倫敦で勉強したほどのお方ですから、明治八年にハイカラだったのも、当然でしょう。
フロックコートが出てくる小説に、『族長の秋』があります。1972年に、ガルシア・マルケスが発表した物語。
「………フロックコートに堅いカラーをつけた一人の男が、謎めいた暗号でも送るように……………………。」
これは通りすがりの人物の姿として。また、『族長の秋』には、こんな描写も出てきます。
「粗いリンネルのズボンと花柄のシャツを着た彼はいかにも清潔そうに見えた。」
この「花柄のシャツ」は、シルクなんですね。いいなあ。フローラル柄でしょうか。
どなたか小さな花柄の絹シャツを仕立てて頂けませんでしょうか。