もろきゅうは、食べ物のひとつですよね。きゅうりに、もろみ味噌を添えて食べるので、「もろきゅう」。もろみ味噌添えきゅうりを短くして、「もろきゅう」。
食事というより、前菜でしょうか。もろきゅうは、酒に合います。もろきゅうで一杯。それからゆっくり食事にかかる。そんなお方も少なくないでしょう。
もろみ味噌はまた、「金山寺味噌」とも。時に、「径山寺味噌」とも書くようですが。これは昔、中国の、「万寿禅寺」から、僧の「覚心」が、紀州の「興国寺」に伝えたと、信じられています。そして万寿禅寺を一般に、「径山寺」とも呼んだので、「金山寺味噌」の名前が生まれたという。
天文四に、紀州、湯浅の、赤桐右馬太郎が金山寺味噌を作った、そんな話もあります。天文四年は、西暦の1535年のことですから、金山寺味噌の歴史も古いのでしょう。
もろきゅうがお好きだったお方に、随筆家の森田たまがいます。
「家へ帰ってきて黙っていたが、黙っているせいかだんだんにもろきゅうをたべたいという欲念が強くなってゆくのであった。」
森田たまは、『もろきゅう』と題する随筆に、そのように書いています。それで、森田たまは八百屋にきゅうりを買いに行って。家に戻って、二本分食べた。そんなふうに書いているのです。たしかに、もろきゅうがお好きだったのでしょう。
森田たまには、『芥川さんのこと』と題する随筆もあります。ここでの「芥川さん」は、もちろん、芥川龍之介を指しているのです。
若き日の森田たまは、知人の内田百閒に伴われて、その頃、田端にあった芥川龍之介の自宅を訪ねる話になっています。内田百閒は、芥川龍之介の親友でもありましたから。
「………すらりとした姿でつと足をひいてきまった形は、私にふと桜間金太郎氏の舞台をおもい出させた。」
森田たまは、はじめて会った芥川龍之介を、そのように描いています。
まるで歌舞伎役者のようだったと、言っているのでしょう。
この『芥川さんのこと』は、昭和十一年の『もめん随筆』に収められています。この森田たまの『もめん随筆』がベストセラーになって。後に『続もめん随筆』をも、出しています。
このことからも窺えるように、森田たまは、「もめん」についての随筆をたくさん、お書きになった作家。
要するに、着物はなにも豪華な絹ばかりではない、と言っているのです。たとえば江戸期の庶民は皆、もめんの着物だったのですから。
どなたかもめんの着物を仕立てて頂けませんでしょうか。