箸は、ものを口に運ぶための道具ですよね。箸がないことには、煮豆を食べることができませんから。まさか手で煮豆を食うことはできないでしょう。
日本人は塗箸で煮豆を挟める民族であります。塗箸はたしかに美しいものではありますが、滑りやすい。その滑りやすい塗箸で楽々と煮豆を操れるのは、日本人ならではの特性ではないでしょうか。
箸のひとつに、「利休箸」があります。杉で仕上げた箸のことであります。この利休箸について書かれた名文に、『利休箸礼讃』があるのは、ご存じの通りでしょう。
昭和五十三年に、辻嘉一が書いた随筆。言うまでもなく「辻留」のご主人であったお方です。
「………両端を細く丸みをもたせ、軽くて持ちやすく、食べやすいお箸つくり、しかも削りたての赤杉の香りをも……………。」
辻嘉一は、『利休箸礼讃』のなかに、そのように書いてあります。
利休箸が利休の考案であるのはもちろんですが。利休は茶席の度に、ご自分で箸を削ったんだそうですね。
あらかじめ吉野から杉材を取り寄せておいて。茶席の直前に間に合うように、客の数だけ、削った。それがそもそもの「利休箸」だったのでしょう。
また、辻嘉一は、客に出す前、十分間水に利休箸を漬けておくことも、教えています。いざ、客に出す時、布巾でよく拭いてから。こうすると香りが冴え、また食事にくっつかないとも。さらには、辻嘉一は、盛夏には、利休箸を氷水に漬けておいたそうですね。
箸が出てくる歴史書に、『一外交官が見た明治維新』があります。当時、イギリス人外交官だった、アーネスト・メイスン・サトウの著書です。
「………鋭い箸を頭に突き刺しながらスプーンで身を裂くことでこれを達成した。」
アーネスト・サトウは、『一外交官の見た明治維新』に、そのように書いています。これは伊藤博文の家で、サトウが夕食を勧められた場面でのこと。
山海の珍味のひとつとして、メバルの煮付けが、出た。サトウは箸では捌けず、悪戦苦闘。ついに箸で頭を押さえて置いて、スプーンで刮げ取って口に運んだという。
また、『一外交官の見た明治維新』には、こんな描写も出てきます。
「………羽織と呼ばれたマントを着て、袴と呼ばれたペチコートのような形をしたズボンをはいていた。」
日本のお侍の着ていた羽織。サトウの目からはマントの一種にも思えたのでしょうか。
「では坐るとき、どういう風に羽織の裾を扱ったらよいか。どんな風にしたら羽織の裾を尻の下に敷かなくてもすむのだろうか。」
井伏鱒二が、昭和四十五年に書いた随筆、『羽織』にそのような一節が出てきます。
ある時、井伏鱒二、羽織袴で、知人の結婚式に。後で結婚式での写真が送られてきて。そこにはあまり人には見せたくない姿が写っていた。井伏鱒二は着物で、椅子に座ろうとして、無意識に、羽織の裾をまくっていたらしい。それは「井伏美学」には反すること。
そこで、羽織姿で椅子に座る時、裾をいかに捌くべきかの随筆が生まれたのでしょう。
どなたか裾捌きの佳い羽織を縫って頂けませんでしょうか。