ナポリとナンキーン

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ナポリはイタリアの街ですよね。
「ナポリを見て死ね」。これはよく知られている言葉でしょう。ナポリはとても美しい街なので、ナポリを見ないうちは死んではいけませんよ、の意味なのでしょう。
ナポリからすぐに想い浮かべるものに、「ナポリタン」があります。私などもはじめて食べたスパゲッティは、「ナポリタン」だったのではないでしょうか。懐かしいものであります。

「三越の特別食堂てので、スパゲッティを食ってみた。淡々たる味で、(ナポリタン)うまい。」

古川ロッパ著『昭和日記』に、そのように出ています。昭和九年十二月二十二日、土曜日のところに。
昭和九年には少なくとも「ナポリタン」の呼び方がすでにあったのでしょうね。また、その時代には、「三越の特別食堂」に、「ナポリタン」のメニュウがあったものと思われます。
この日、古川ロッパは「ポークロース」をも召しあがっています。「五十銭」なり。「値にしてはうまい」とも書いてあるのですが。
三越の特別食堂で「ポークロース」が五十銭で頂けた時代があったのですね。

「マカロニとは、上等な粉をやわらかく十分に手入れして捏ね、それを煮てから一定の形に圧縮したものであるが、あらゆる種類のものがどこでも安く手に入る。」

ゲーテの『イタリア紀行』に、そのような説明が出てきます。
1787年5月28日。ナポリにて。
ゲーテが、1787年に、「マカロニとは……………。」と書いているのは、当時のドイツではまだ、あまり知られてはいなかったのでしょうか。

「船長役は美青年でとても無愛想なテノール歌手である。ヴェネツィア出身で、そこでは郡長だか助役であった。カブラン嬢はかなり美しい声をしている。」

スタンダール著『イタリア紀行』に、そのような一節が出てきます。1817年1月11日。ナポリで。
ゲーテの旅から数えて、ざっと三十年ほど後のことになるでしょうか。スタンダールの『イタリア紀行』を読む限り、パスタの話は出てきません。でも、スタンダールもなんらかのパスタ類は召しあがっているでしょうね。

ナポリが出てくる小説に、『ソーの舞踏会』があります。1829年に、バルザックが書いた物語。

「フォンテーヌ嬢があの日以来、初めて舞踏会に出かけたのはナポリ大使館だった。」

当然といえば当然なんですが。バルザックの『ソーの舞踏会』には、その時代の衣裳がふんだんに描かれていて、フランスの服飾絵巻を眺める想いがするほどです。

「相手の十五歳くらいの若者の、手を紅潮させ、南京織の淡黄色のパンタロンをはき、青の上着に靴は白といういでたちは……………。」

ここでの「南京織」は、「ナンキーン」n ank e en は、「南京木綿」のこと。もともとは乗馬用の、丈夫な綿布だったものです。縞柄で、イエローが多かったそうです。
どなたかナンキーンで夏服を仕立てて頂けませんでしょうか。

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