パリとパジャマ

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パリは今も留学の街でもありますよね。
明治のはじめ、パリに留学されたお方に、西園寺公望公がいらっしゃいます。明治四年かr、明治十三年までの約十年をパリで学んでいるのです。
パリ時代の西園寺公望公については、『ゴンクール日記』にもその記述があります。

「今日ビュルティーの家で、二人の日本人と会食した。プランス西園寺ともう一人は普通の庶民の男である。」

1876年2月17日の『ゴンクール日記』に、そのように出ています。この「プランス西園寺」が、西園寺公望公のことであるのは、いうまでもありません。
ゴンクール兄弟が西園寺公望公にはじめて会ったのは、おそらくこの日だったでしょう。ゴンクール兄弟はその後も、何度か、西園寺公望公に会っているらしい。ある時、フランスでの食事の話になって。西園寺公望公は、こんなことを言ったと。

「苺、さくらんぼ、アスパラガス」

日本人としての西園寺公望公がパリに来て、驚くほど美味しいと思ったのは、その三つである、と。これは1877年5月3日、木曜日のところに出ている話なのですが。
幕末のある日。西園寺公望公は、はじめて西洋服で、宮中に参上。もちろん同僚の公家から非難されて。その時の公望公のひと言。
「腹を切る」
やがて諸侯も西洋服を着ることになる。早いか遅いかの違い。もし、諸侯が西洋服を着ないなら、「腹を切ろう」と。なんだか命がけみたいですが。この西園寺公望公の西洋服は、後の伊藤博文が調達したものであったという。

1950年にフランスに留学した作家に、遠藤周作がいます。主に「リヨン大学」に席を置いていたようです。が、その途中、体調を崩して、パリの病院に入院もしています。この時の経験から生まれた短篇に、『ジュルダン病院』があるのは、ご存じの通り。
1953年の12月25日を、遠藤周作はこの「ジュルダン病院」で迎えています。

「Xマスの午後、ジュリエット・グレコが栗色の髪を引きしぼるように両拳に握りしめ幾つもの唄を歌った。」

遠藤周作著『ジュルダン病院』には、そんなふうに書いてあります。その数々の唄のなかには。

🎶 よろこびもなく、愛もなく
  カトリーヌよ
  お前は結婚した……………。

そのようにはじまる『カトリーヌの唄』もあったと、遠藤周作は書いています。

「掲示板の前でパジャマやガウンを着た男女はグレコの写真を指さし歓声をあげた。」

グレコのコンサートは、病院の広い図書館で行われ、その予告を見て人々が喜んでいる様子として。
入院中ですから、パジャマやガウンなんでしょう。
麻のパジャマは、涼しい。ウールのパジャマは、温かい。絹のパジャマは、肌触りが佳い。
パジャマは季節によって選びましょう。
また、パジャマとお揃いの生地で、ガウンなんて方法も悪くないものです。
どなたかガウンとパジャマのお揃いを、作って頂けませんでしょうか。

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