缶詰と外套

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

缶詰は、保存食のひとつですよね。缶詰に似たものに、壜詰もありますが。
缶詰は密封。空気に触れない。だから永持ちしてくれるわけですね。たとえば、鮭缶だとか。コンビーフだとか。なにかの缶詰がひとつあれば、一皿できてしまうものです。
必要は発明の母とか申します。缶詰は1804年に発明されたんだとか。フランス人のニコラ=アッぺールによって。
これはナポレオン・ボナパルトの懸賞に応募した結果なのです。ナポレオン・ボナパルトは、保存食を必要としていた。もちろん軍用食として。この「缶詰」によって保存食として持ち運びが出来るようになったわけですね。
日本での缶詰は、明治四年の、長崎で。松田雅典が。フランス人のレオン=でュリーの指導を受けて。それは、鰯の缶詰だったそうです。

缶詰が出てくる随筆集に、『巴里の空の下オムレツの匂いは流れる』があります。

「………トマトピュレーのカンづめなどを買って、また外に出る。」

石井好子が、昭和三十八年に刊行した随筆集。これは当時、売れに売れた本で、今なお売れています。ベストセラーであり、ロングセラー。『巴里の空の下オムレツの匂いは流れる』の企画は、花森安治。そもそもシャンソン歌手である石井好子に美食の原稿を書かせたのも、花森安治。最初は『暮しの手帖』での連載で。一冊に纏めたのも、花森安治。名題をつけたのも、花森安治。挿絵を描いたのも、花森安治。装丁も、花森安治。
『巴里の空の下オムレツの匂いは流れる』だけをとってみても、いかに花森安治が名人だったかが分かるでしょう。
1930年の映画『巴里の屋根の下』という、ルネ・クレールの作品があって。それにヒントを得ているのでしょう。

「グラタン皿の中に、とろっとしたうすいトマト色のクリームがかかっていて、その厚いクリームの下には、2コの卵形をしたものが、こんもり柔かくもり上っていた。」

『巴里の空の下オムレツの匂いは流れる』には、そんな一節も出てきます。
これは昭和二十九年頃の話。その頃、巴里のキャプシーヌ通りに、「ヴェベール」というレストランがあって。そこの名物料理が、「ヴェベールの卵」。石井好子はよく「ヴェベールの卵」を食べに通ったそうです。

「夜中おそく仕事が終ってお化粧おとして、厚い外套に頬をうずめ、木枯しの吹く表通りに出る。」

石井好子の『巴里の空の下オムレツの匂いは流れる』には、そんな一節も出ています。
「外套」。オーヴァーコートでしょうか。コートcoat
は、上着。上着の上に重ねるから、オーヴァコート。ただ「コート」と言ったのでは、誤解が生まれないとも限りません。その点、「外套」には誤解がありません。
どなたか外套と呼べるものを仕立てて頂けませんでしょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone