スーラは、人の名前にもありますよね。
たとえば、ジョルジュ・スーラだとか。ジョルジュ・スーラはフランスの画家。Seururat と書いて、「スーラ」と訓みます
ジョルジュ・スーラは1859年12月2日、巴里に生まれています。お父さんは、アントワーヌ。お母さんは、エルネスティーヌだったと伝えられています。
1875年、スーラが十五歳の時、画才のあることに気づいて。そのため市立のデッサン教室に通うように。
スーラの代表作は、『ラ・グランド・ジャッド島の日曜日の午後』でしょうか。1885の完成。横幅が2メートル11を越える大作。ラ・グランド・ジャッド島は、セエヌに浮かぶ中洲。公園になっている巴里市民の憩いの場。
スーラが『ラ・グランド・ジャッド島の日曜日の午後』を描きはじめたのは、1884年のこと。何度も習作を試みています。
『ラ・グランド・ジャッド島の日曜日の午後』には、ざっと四十人の人々が描かれています。こちらまで優雅な気分にさせてくれる名画であります。スーラの名作。もちろん、無数の点描によって完成されているのですが。
「点描といえばスーラ」。そんな印象があるのは、言うまでもないでしょう。
スーラはそれほど長くはない人生の中で、多くの点描画を遺しています。スーラは1891年3月29日、午前六時。三十一歳で世を去っています。
若い頃のスーラはなかなかの美男子で、また、洒落者でもあったそうですね。
実際にスーラと交流のあった伝記作家、リュシー・クステュリエは、「デパート売場監督のようだった。」と書いています。常に身体にフィットしたフロック姿で、水玉模様のクラヴァットを結んでいたという。
スーラは規則正しい生活で、午前中いっぱいアトリエで、絵筆をとり、昼になると、近くのレストランに。その時にはフロックではなく、上着を羽織り、当時「クロケ」の名前で呼ばれたソフト帽をかぶっていたそうですね。
1995年に、スーラの絵に惹き付けられたのが、ブラック。フランスの絵師、ジョルジュ・ブラックであります。1905年には、ジョルジュ・ブラックは二十三歳で、「スーラ回顧展」が開かれていたのです。
ジョルジュ・ブラックは1882年5月13日、巴里に於いて誕生。
1882年にはスーラ、二十三歳で、自分のアトリエで絵を描きはじめています。そして1883年には、『アニエールの水浴』を仕上げているのですが。
ジョルジュ・ブラックのお父さん、シャルルは街の看板描きで、おそらくお父さんの影響から絵を描きはじめたのでしょう。
ジョルジュ・ブラックがはじめてピカソに会ったのは、1907年のこと。ブラックが二十五歳の時に。詩人のアポリネールが、ブラックをピカソのアトリエ「洗濯船」に連れて行ってくれたのです。
そんなこともあって世間では、「ブラックはピカソとともにキュビスムを創った男」などと言われたりもするのですが。
ブラックは1963年に、逝去。八十一歳でありました。さすがにフランスは国葬でブラックを送っています。
ブラックのアトリエでのふだん着は、スモック。ジャケット風の軽いスモック。たぶん一重仕立てだったでしょう。
どなたかブラック愛用のスモックを仕立てて頂けませんでしょうか。