ポールは、人の名前にもありますよね。
Paul と書いて「ポール」と訓みます。
たとえば、ポール・ゴーギャンだとか。
ポール・ゴーギャンがフランスの画家であるのは、いうまでもないでしょう。
ポール・ゴーギャンは1848年6月7日、パリに生まれています。今からざっと百八十年ほど前のことでしょうか。
ゴーギャンといえばタヒチ。タヒチといえばゴーギャン。そんな印象さえありますね。
たしかにゴーギャンはタヒチを背景に多くの傑作を生んでいます。
また、タヒチに行ってからのゴーギャンが、それまでの画風を一変させたのも事実でしょう。
1891年のはじめ。ゴーギャンはどこの島に行くか、迷っていて。
結局、タヒチに決めたのは、オディロン・ルドン夫人のひと言。「タヒチになさい。」
これでゴーギャンはタヒチに決めたという。
ゴーギャンはタヒチへの旅費をどうしたのか。自作の絵を売ることによって。
1891年2月23日。月曜日。巴里の即売所、「オテル・ドゥロオ」で、絵を売っています。
三十一点の絵画が売れて、合計9、635フランになったという。
この中の一点に、『美しいアンジェール』があって。これはドガが450フランで買ってくれた。今は、「ルーヴル美術館」所蔵となっているのですが。
また、1891年3月23日には、ゴーギャンの送別会が開かれています。「カフェ・ヴェルテール」で。会費5フランで。
約五十人の仲間たちが集ってくれたそうです。
ゴーギャンがタヒチの首都パぺエラに着いたのは、6月9日のこと。ゴーギャン、四十二歳の時に。
「63日間の航海、待ちあぐんだ63日の後に、われわれは、6月8日の夜半、波間にゆらめく不思議な夢を見た。」
ゴーギャンは手記の中に、そのように書いています。
ゴーギャンがマルセイユを、「オセアニアン号」で船出したのは、1891年4月6日のこと。
船はやがてスエズ運河を抜けて、インドのボンベイを経て、ニュウカレドニアのヌメアに。ヌメアで軍艦に乗換えています。
ポールが出てくる短編に、『挑戦』があります。
バッド・シェールバーグが、1949年に発表したミステリ。
「ポール・マックスウエルは、ライトグリーンの海を見つめていた。」
『挑戦』は、この一行からはじまる物語になっています。
また、『挑戦』にはこんな描写も出てくるのですが。
「その夜、南に来てから初めて、彼は白い麻のスーツを着た。」
ここに「彼」とあるのは、ポールのことなのですが。
たぶんシングル前三つボタン型のスーツだったでしょうね。
どなたかホワイト・リネンのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。