紳士の首環
カラーは襟のことである。ここでの襟は、シャツの襟のこと。
カラーは便利な言葉でもあって、その用途は広い。たとえばグラスにビールを注ぐ。と、グラスの縁に白い泡があらわれる。あの白い泡もまた「カラー」であるらしい。
カラーはシャツの一部分でしかない。が、カラーが象徴的に使われたりもする。一例を挙げるなら、「ホワイト・カラー」。今、「ホワイト・カラー」は、知的労働者の意味で使われる。しかし1920年代にあってはむしろ「聖職者」を指す表現であったという。ホワイト・カラーの言葉があったからこそ、「ブルー・カラー」の言いまわしも生まれたのであろう。同じように「ピンク・カラー」は、伝統的に女性に向く職場で働く女性のことである。
カラー collar はラテン語の「コルム」 collum から来ている。「首」の意味であったという。
フランスの 「コル」col もイタリアの、「コレット」 colletto も同じところから出ているわけである。もちろん広く「襟」の意味になる。
ひとつの例ではあるがフランスで、「コル・アングレ」 ( イギリス襟 ) といえばそれはタブ・カラーのことになる。
「硬いカラーのかわりに、ソフト・カラーがひろく用いられるようになってからでも、アメリカ以外の国ではカラーとシャツが別になっていた。ロンドンあたりでは、ことによると、まだそうかも知れない。」
大田黒元雄著『おしゃれ紳士』 ( 昭和三十三年刊 ) にはそのように出ている。昭和三十年代は1950年代ということであり、1950年代のロンドンでは、着脱式のカラーが珍しくはなかったのだろうか。
セパレート・カラーが生まれるのは、1825年頃のアメリカにおいてである。この便利なカラーは瞬く間に世界を席巻する。カラーだけを取り外して洗うことができたからに他ならない。
「現に流行のあらゆる種類の襟や襟飾りを持ってきた。」
バルザック著『 ウジェニー・グランデ』 ( 1833年刊 ) の一節。これはシャルルという洒落者が巴里から旅に出る時の身支度を語っている場面。
「襟飾り」はクラヴァットであろう。「襟」は、コル。つまりセパレート・カラーのことであったと思われる。
フランスであろうとイギリスであろうと、バルザックの時代、紳士であることの条件は、ハイ・カラーを付けることであった。ハイ・カラーとハード・カラーは両輪の輪であって、ハード・スターチであるからこそ、ハイ・カラーも可能だったのである。
もちろんクラヴァットを高く巻くにはハイ・カラーを欠かすことはできなかった。そして、当時の洗濯法で、白をより白く仕上げるには、ハード・スターチが好都合でもあったのだろう。
これも一例ではあるが、1854年頃の倫敦で「オールラウンダー」 all rounder という襟が流行ったことがある。
おいらのカラー、オールラウンダーは、目の縁まで届くんだぜ……
ディオゲネスなる者がそんな戯れ唄を作ったという。
正しくは「オールラウンド・カラー」なのであるが、皆、「オールラウンダー」の愛称で呼んだものである。つまりそれほどに、流行ったのだ。
「目の縁」はいささか大げさにしても、カラーの高さは頬の位置まであった。もちろんハード・カラーでなくては不可能な襟でもあった。と同時に、ここに至ってハイ・カラーも頂点に達したのである。
その後、1860年代には「シェイクスピア・カラー」というのもあった。これは十九世紀のダブル・カラー。つまり今のシャツによく似ている襟型であった。正しくスポーツ・ウエアに向くものとされたものである。
1860年代に人気のあった襟に、「ダックス・カラー」 dux collar というのもあった。これは現在のウイング・カラーによく似たスタイルのものであった。
ウイング・カラーをホワイト・スーツに合わせるのを好んだのが、アメリカの作家、トム・ウルフ。トム・ウルフにとってのウイング・カラーは、日常着だったようである。
日常のダーク・スーツに必ずウイング・カラーを着たのが、吉田茂。吉田茂のウイング・カラーを選んだのが、白洲次郎。
「ロンドンのシャツ屋ではこの右に出る者はないという所を紹介してやった。( 中略 ) それが気に入ったと見えて、夜会用のシャツを何ダースかに、普通のシャツを何ダースか注文した。」
白洲次郎著『吉田さんのこと』 ( 1951年発表 ) 。
吉田茂がダーク・スーツに合わせたウイング・カラーは、ロンドンで作ったものであったのだろう。