学問とガン

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学問は、スタディーのことですよね。いくら私に学問がないからと言っても、それくらいのことなら知っています。
ですから、『学問のすゝめ』などと言われますと、一言もありません。福澤諭吉は、明治四年にすでに『学問のすゝめ』を書いています。
福澤諭吉はなぜ、『学問のすゝめ』を書いたのか。明治になって「学校」が生まれる。その学校の先生に向けての教えだったのですね。

「学問とは、唯むずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を云うにあらず。」

福澤諭吉はそんなふうに書いています。明治四年としては、まことに分かりやすい内容の文章だったでしょう。ここにも福澤諭吉の人間の大きさが窺えるでしょう。

「学問や芸術の復興は、習俗を鈍化するのに役だったでしょうか………」

ルソーは、1750年に発表した『学問芸術論』の中に、そのように書いています。
つまり、人間の習慣は、本来の学問からすれば、大きく隔たっていると、ルソーは述べているわけです。ここに学問の大きな問題があります。

「歴史の学問も現在の研究程度に止まっているということは、無用なるのみかまた有害でもありうる。」

1929年に、柳田國男が発表した論文『青年と学問』に、そのような文章が出てきます。
つまり、世間一般の習慣に優るには、よほどの学問が必要だと、述べているわけですね。

学問が出てくる小説に、『結婚の生理学』があります。1826年に、オノレ・ド・バルザックが発表した小説です。
この中でバルザックは「結婚」について延々と語っています。バルザックは、こうも述べているのですが。

「結婚とは一つの学問である。」

なるほど。私もまた学問が足りていませんでした。
ところで、バルザックはなぜ『結婚の生理学』の題を選んだのか。
ちょうどその頃。ブリア・サヴァランの『味覚の生理学』が出版されて、売れに売れた。これにヒントを得て、『結婚の生理学』となったものでしょう。

『結婚の生理学』には、こんな描写も出てきます。

「ビュイッソン謹製にかかる服と、ポワヴァンの店で買った一対の手袋と………」

「ビュイッソン」は当時巴里で一流だったテイラー。「ポワヴァン」も実在した有名洋品店。
その時代の洒落者は季節に関係なく手袋に凝ったものです。
フランスなら、「ガン」 gant でしょうか。
ガンは、薄くて、手にフィットしているものを最上とされたのです。
どなたか1820年代のガンを再現して頂けませんでしょうか。

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