人力車と燕尾服

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人力車って今でも見かけることがありますよね。「明治のハイヤー」といったところでしょうか。
あの人力車もまた、日本の発明品。明治三年に生まれたと考えられています。
高山幸助。鈴木徳次郎。和泉要助。この三人に対して、製造許可が出されているんだそうです。明治三年三月二十四日に。
人力車の原案を考えたのが、和泉要助。原案に従って、試してみたのが、鈴木徳次郎。そして人力車を実際に作ったのが、高山幸助なんだそうですね。
試行錯誤としては、三輪車や四輪車もあったらしい。でも、二輪車がいちばん安定して走ってくれたので、今の形になったんだとか。
その頃の名前は、「人車」。人車では語呂が悪いので、やがて「人力車」に。この人力車を豪華絢爛にしたのが、秋庭大助。人力車を漆で飾ることを考えたんですね。最初は漆塗りだったものが、さらには蒔絵で仕上げるようになる。
でも、蒔絵の人力車は贅沢すぎるというので。お上によって禁止されたんだそうですが。
秋庭大助は、大阪に人力車の支店を作った人でもあります。大阪、高麗橋一丁目に、人力車三両で、支店を開いたという。明治四年三月のことだと伝えられています。
明治四年七月十日に生まれたのが、プルースト。もちろん、フランスの小説家、マルセル・プルーストのことですね。西暦でいいますと、1871年のことになります。マルセル・プルーストはこの日、パリで生まれています。それというのも、お母さんのジャーヌがその頃パリに住んでいたから。
マルセル・プルーストの代表作は、『失われた時を求めて』でしょうね。名作にして、大作。長篇ですよね。そのなかに、『ソドムとゴモラ』というのがあって。

「彼の燕尾服の、人が気づかないところに凝った、芸術的な単純さをじっくりと鑑賞することができたが、その服は仕立屋だけが見わけることができたであろうような、入念な細かい細工によって、ホイッスラーの黒と白との「諧調」といったある絵のような雰囲気を持っていた。」

これはシャルリス氏の燕尾服についての描写。
もしこんな燕尾服なら、いっそ人力車に乗るのがふさわしいかも知れませんね。

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