パーカーとポケット

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パーカーで、ジャズで、ということになりますと。チャーリー・パーカーでしょうか。
チャーリー・パーカーは一世風靡した、アルト・サックス奏者ですよね。

「当時はみんなディジーやチャーリー・のように真似して演奏していたものだ。」

マイルス・デイヴィスは、そんなふうに語っています。「ディジー」が、ディジー・ガレスピーであるのは、いうまでもないでしょう。
チャーリー・パーカーは、1920年の生まれ。マイルス・デイヴィスは、1926年の生まれ。チャーリー・パーカーが六つほど、お兄さんということになるでしょうか。マイルスとチャーリーはとても仲良しで。一時期、同じ部屋で暮していたほどなんだとか。マイルスはチャーリーに教わること、大であったとも。
チャーリー・パーカーは、Parkerと書く。一方、Parkar の綴りもあるんだそうですね。たとえば、スージー・パーカーは、Parkar の方なんだそうです。
スージー・パーカーは、1950年代のアメリカで人気のあった、ファッション・モデル。そのスージー・パーカーのお姉さんが、ドリアン・リー。このドリアン・リーこそ、スーパー・モデルの草分けではないか、との説もあります。
スージー・パーカーは、ココ・シャネルに贔屓にされたモデルでもあります。また、リチャード・アヴェドンのお気に入りでもあったモデルなんですね。

「ファッション・モデルという職業に興味を持ったのは、スージー・パーカーがいたからだった。」

常盤新平著『小さなアメリカ』には、そんなふうに書かれています。
レブロンが新しい口紅を発表したのが、1949年。その新しい口紅の名前が、「火と氷」。「火と氷」のモデルとして登場したのが、スージー・パーカー。
1949年に発表されたミステリに、『フレンチ警視の最初の事件』が。もちろん、F・W・クロフツの物語。この中に。

「ズボンの折り目は完璧でなければならず、生地が伸びてしまわないようにかさばるものや重いものは決してお入れになりませんでした。」

これは、サー・ローランド・チャタトンの着こなしについて、側近が説明している場面。ズボンのポケットにあんまりものを入れてはいけないんですね。
さて、すっきりとしたズボンを穿いて。パーカーのレコードを探しに行くとしましょうか。

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