キュラソーは美しいリキュールですよね。
キュラソーをカップに注ぎ、その上からコーヒーを加えると、「マリア・テレジア」になるんだそうです。
十八世紀、マリア・テレジアがそんなふうにして珈琲を飲んだからなんだとか。ということはキュラソーはそんな時代からもうあったんですね。
一説に、キュラソーが生まれたのは、1695年のことであるらしい。南米、ベネズエラ、キュラソー島のオレンジをオランダに送って、それをブランデーに漬け込んで、キュラソーに。「デ・カイバー」という会社がはじめたんだそうです。
北原白秋の詩に。
色赤きキュラソオの酒さかづきにあるは満たせど
かなしみはいよいよさらず。
というのがあります。北原白秋は、キュラソーがお好きだったみたいです。というのは、同じ詩人の、木下杢太郎が『北原白秋氏の肖像』と題する詩の中で。
氏は卓の一角から罪色紅のcuraçaoを取って
薄玻璃の高脚杯に垂らした………重く……緩やかに……。
と、詠んでいるからです。明治の末から大正のはじめの文人の間で、curaçaoが流行ったようです。それもカクテルにするのではなくて、生 ( き ) で飲んだらしい。
キュラソーが出てくる小説に『美少年』があります。ダフネ・デュ・モーリアの短篇。この中に。
「ガニメデがキュラソーとエヴィアン水をもってもどってきたが……」
この「ガニメデ」がとびきりの美少年という設定なんですが。「わたし」はなぜか、旅先でキュラソーを注文する場面。また、同じく旅先で、謎の男に出会す場面も。
「白いレインコートを着て中折れ帽をかぶった男が柱の陰からやってきて……」
昔、よくありましたね、白いレインコート。なにか、レインコートを羽織って、キュラソーを飲みに行きましょうか。