ブルーという名前の人もたくさんいるんでしょうね。
ビリー・ジョエルだとか、ビリー・エリオットだとか。そして、もうひとり、ビリー・ストレイホーン。
ビリー・ストレイホーンは、『A列車で行こう』を作った人なんですね。作詞、作曲とも、ビリー・ストレイホーン。
ビリー・ストレイホーンは、アメリカ、ピッツバーグの生まれ。そのピッツバーグにデューク・エリントンがやって来ることに。1938年ころのこと。
ある音楽好きが間に立ってくれて、ビリーをデュークに合わせてくれた。デュークはビリーを認めて。1939年からは、デューク・エリントンの楽団に入れてもらえることになる。
1939年。ビリー・ストレイホーンははじめてNYに行くことに。で、デューク・エリントンになにか贈物がしたい。
その時のビリーの手土産が、『テイク・ジ・Aトゥレイン』だったんですね。ということは、1939年の時。ビリーはまだ「A列車」に乗ったことがなかったわけですが。
もっとも『A列車で行こう』は、すぐに世に出たわけではありません。1941年になって、録音。2月15日のことと記録されています。これが、拍手喝采。
デューク・エリントンのファンだったのが、ボリス・ヴィアン。ボリス・ヴィアンはフランスの作家。作家でもあるんですが、ジャズのトランペッターでもあった人物。その昔、サン・ジェルマン・デ・プレにあったクラブ、「タブー」でよく演奏したものです。
1948年にデューク・エリントンがパリに行った時にも、ボリス・ヴィアンは会っています。ボリス・ヴィアンの代表作は、『うたかたの日々』でしょうか。この中に。
「青色のワイシャツに、ベージュ色の背広を着ることにしよう。ネクタイは、ベージュと赤いやつだ。」
これは裕福な主人公、コランが身仕度をしている場面。フランス人だけではありませんが。彼らはなぜか、ベージュのスーツにブルーのシャツが好きだし、またよく似合うんですよね。