あんパンとソフト

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あんパンはふっと食べたくなるものですよね。たとえば木村屋のあんパンだとか。
永井荷風があんパンを買った話があります。
永井荷風と奥野信太郎とが、偶然に出会って。大正十四年のこと。場所は、日本橋の丸善。時は夕方の四時ころ。荷風は奥野信太郎に問う。
「君はカフエを知っているかい」。「いいえ。存じません」と、奥野信太郎。では、これからカフエに行ってみようじゃないか、と。
その頃の地名で、尾張町ニ丁目に、「台灣喫茶店」があったという。名前こそ喫茶店ですが、夜にはカフエに。
その「台灣喫茶店」に行く前に「木村屋」に寄って、あんパンを買う。五十銭ばかり。その時代、木村屋のあんパンはひとつ一銭。ということは、五十個のあんパンを。
まだはやい時間なので、カフエの女給たちも、暇で。そこに荷風はあんパンを持って行って、「さあ、お食べよ」。もちろん女給たちは喜んで、あんパンに手を出したという。どうも荷風はそんな気遣いがあったみたいですね。
「台灣喫茶店」は今はもうありません。なんでも日本ではじめて中国茶を飲ませる店だったそうですが。
明治四十年に荷風の書いた『あめりか物語』の中に。こんな一節があります。

「自分も世間の人と同じように新しい衣服新しい半靴新しい中折帽を買った。 ( 中略 ) いつかバイロンをまねたいものだと………」。

そのころの永井荷風はどうもロード・バイロンがお手本だったみたいですね。それはともかく、明治四十年に荷風が「中折帽」を新調したのは間違いないでしょう。もちろん、ソフト・ハット。ボウラーでもシルク・ハットでもなく、ソフト・ハットを。ここにも荷風の生き方があらわれているように思われます。それはカフエの女給にあんパンを差し入れる心にも、通じるものがあるのかも知れませんが。

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