ロシアで、ピアニストでといえば、ホロヴィッツでしょうか。ヴラディミール・ホロヴィッツ。それにしても、ロシアに生まれた名ピアニストの多いこと、驚くばかりですね。
ホロヴィッツの、ピアノへの超絶技巧はもちろんとして。その一方で、洒落者でもありました。ロシアというよりは、いつもヨーロッパ風の服装を好んだものです。そして、バタフライ・タイが好きでもありました。
ある時、ホロヴィッツは大きな蝶ネクタイを結んでいた。ブラック&ホワイトの柄。それはよく見ると、鍵盤をあらわした柄だったのです。そんな洒落っ気もお持ちだったようですね。
ホロヴィッツで今も語り草になっているのが、ニューヨーク公演。1928年1月のことです。1928年1月はじめ。NY港に着いたホロヴィッツはタクシーで、宿の「マジェスティック・ホテル」へ。タクシーに乗ったホロヴィッツは付き添いの者にひと言。
「目隠しをしてください。」
後でその目隠しの理由を訊かれて。
「都会の忙しい景観に驚かされたくなかったから」と、答えています。
ホロヴィッツのたったひとつの注文は、「ラフマニノフに会わせてもらいたい………」。
1月8日。NYの「スタインウェイ社」で、ふたりは顔を合わせています。もちろんホロヴィッツはラフマニノフの前で、演奏しています。後にラフマニノフはこんな風に語っています。
「ホロヴィッツの演奏を聴くまで、私は、ピアノの可能性を知らなかった。」
ホロヴィッツが舞台で着たのは、もちろんテイル・コート。テイル・コートにもバタフライを結んだものです。
ピアニストが出てくる小説に、『一粒の麦もし死なずば』があります。アンドレ・ジッドが1920年に書いた物語。この中に。
「ロマンチックに仕立てた長めのフロックコートをきちんと着こみ、高いカラーは、小さな結び目の薄絹のタイをふたまわり巻いてられたが…………」
これはピアニストの、マルク・ド・ラ・ニュの着こなし。「ロマンチックに仕立てた」。どんなのでしょうか。たぶん、うんとシェイプを効かせたスタイルだったのでしょうね。
一度でいいから、「ロマンチック」なスーツを着てみたいものですが。