茶とティルデン

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茶のひとつに、玉露がありますね。玉露は、味わいの奥深いものです。
玉露のはじまりは、天文三年の頃といいますから、古い。天文三年は、1738年のことになります。
その頃の京に、永谷宗圓という茶葉商があって。たまたま、極上の茶葉に仕上がった。これは、というので江戸に送る。江戸ではさっぱり売れない。
ところがたったひとり買った人がいて、山本嘉兵衛。小判三枚を支払ったという。今もある「山本山」の、五代目、徳潤のことなんだそうですね。
玉露がお好きだったのが、室生犀星。室生犀星はすべてにわたって、和風の暮らしを好んだという。自宅での椅子は、ピアノの椅子とミシンの椅子しかなかったそうです。
でも、室生犀星の朝の食事は、パンにバター。ただし、飲むのは、必ず玉露だったのですね。
室生犀星が出てくるものに、『軽井沢日記』が。芥川龍之介は大正十三年の七月から軽井沢の「つるや旅館」に、滞在。一月ほど。その時の日記が、『軽井沢日記』。『軽井沢日記』、八月三日のところに。

「犀星と共に晩涼を逐い、骨董屋、洋服屋などを歩く。微月天にあり。」

八月三日に室生犀星が来て、八月四日に掘 辰雄が来て。その四日には芥川龍之介と三人で、「軽井沢ホテル」で夕食を愉しんでいます。その翌々日が、八月六日。八月六日の日記に。

「午後、田中 純来る、運動服を調え、チルデン愛用のラケットを買い、毎日テニスをしつつありと言う。」

芥川龍之介の友人、田中 純は大正十三年の軽井沢で、テニスを楽しんだのでしょう。どんな「運動服」だったのか。「チルデン」は、あのテニス選手の、ウイリアム・ティルデンのことかと思われます。
Tillden 。そういえば、Vネックのティルデン・スェーター、ありましたね。

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