日本には日本の歌がありますよね。では、日本の歌の代表選手は何であるのか。
それはもう、十人十色でしょう。百人いれば、百の「日本の歌」があるでしょう。それぞれの年代によっても大きく変わってくるに違いありません。
そんなことは百も承知の上で、あえてひとつだけ選ぶなら、『青い山脈』ではないでしょうか。
♬ 若く明るい歌声に…………。
たしかそんな風にはじまるんでしたね。西条八十の作詞。服部良一の作曲。
では、「青い山脈」とはどこの山なのか。戦後、間も無くのこと。服部良一は大阪から京都に向かう混んだ列車の窓から見えた山から、このメロディーが浮かんだという。たぶんそれは、六甲山だったでしょうね。
『青い山脈』はもちろん、石坂洋次郎の原作。石坂洋次郎は青森の弘前に生まれ、秋田の横手で学校の先生をしていた。ということは「青い山脈」とは、鳥海山のことかと思われるんですが。まあ、それぞれの人の心に棲んでいる「青い山脈」ということにしておきましょう。
石坂洋次郎の『青い山脈』は、何度か映画化されています。そのいちばん最初が、1949年。原 節子と、池部 良の主演。この時、池部 良すでに三十をこえていたのに、十代の役を演じたのは、有名な話でしょう。
池部 良ははじめ映画監督志望で、ひょんなことから俳優に。映画界に入ってとりあえずの仕事が、当時子役スターだった中村メイコの子守り。その中村メイコが池部のことを二枚目と言ったので、役者になったとか。
『青い山脈』の映画主題歌を歌ったのが、藤山一郎。後年、偶然に藤山一郎とゴルフをすることになったのが、池部 良。池部 良著『風が草木にささやいた』の中に。
「あの日、先輩が穿いておられた淡い鼠色の格子が入っているニッカーボッカーズはいまだに脳裡にある。」
「先輩」とあるのが、藤山一郎。藤山一郎は、チェックの、グレイの、ニッカーボッカーズを穿いてのプレイだったでしょう。
それにしても池部 良の印象に遺るようなニッカーボッカーズ、穿いてみたいものですね。