文章を読むのは、愉しいものですね。でも、文章を書くのは…………。
「文」「章かなり」と書いて、文章。そもそも「文章」のはじめから、「章か」でなければ。そんな風に考えると、どうにも気が重くなってしまいます。
作家はたいてい、「文章家」であります。文章の名人。ですから、『文章読本』があるのでしょうね。たとえば谷崎潤一郎にも、『文章読本』があります。三島由紀夫にも『文章読本』があります。丸山才一にも、『文章読本』があります。丸山才一の『文章読本』を開くと、まず最初に。
「少し気取って、書け。」
と、書いています。たしかに、その通りなんでしょうが。仮にここに、ホームランの名人がいたとして。
「少し気取って、バットを持て。」
と、言われたのに似ているのかも知れませんが。
芥川龍之介に、『文章』という短篇があります。大正十三年の発表。『文章』の主人公は、堀川保吉。ある学校の英語の先生という設定。でも、は、堀川保吉は小説家志望。
ある時、学校の校長から、追悼文を頼まれて、書く。葬式の当日、校長がその弔文を読む。と、あちこちから、すすり泣きが。校長にも「名文だった」と、褒められる。
弔文はさっと書いた。小説は凝りに凝って、書いた。それはまったく評価されなくて。ざっと、そんな内容の小説が、『文章』。これもまた、読みようによっては芥川龍之介なりの『文章読本』なのかも知れませんが。
芥川龍之介の未完の小説に、『杏の花』があります。未完というよりも、書きはじめてすぐに筆を擱いた印象のものではありますが。この中に。
「青みがかつた鼠の中折帽、同じ色のオオヴア・コオト、ゲエトルをかけたエナメルの靴…………」。
これは、「野島」という人物の着こなし。
「青みがかつた鼠」は、今なら、ブルー・グレイでしょうか。いいですねえ、ブルー・グレイ。もちろんブルー・グレイの服を着たから文章が上手くなる保証はありませんが。少なくともぼやけた色よりずっと印象が良くなるでしょう。