キルティングと着気

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キルティングは、綿入のことですよね。布と布との間に綿を挟んであるから、綿入。もっとも今はあまり、「綿入」の言葉は使わないでしょうが。

「綛のやうな變格子の米澤の綿入小袖に、金茶の横縞の花鳥の飛模様の入つた藤鼠の博多の帯。」

小栗風葉が、明治三十九年に発表した『青春』に、そんな一行があります。風葉は、「綿入小袖」と書いて。
江戸時代には、絹の着物に綿を入れた場合、「小袖」。麻や綿の着物に綿を入れたなら、「布子」。そんな使い分けがあったという。また、その中に入れる綿も、絹には絹綿、綿には綿綿というのが常識だったそうですね。
キルティングが出てくる小説に、『モーツァルト荘』があります。三浦哲郎が、昭和六十二年に完成させた物語。

「尚作は、キルティングの防寒服を脱ぎながらガラス戸越しにそれを眺めて、おや、犬がいる、と独言をいい………………」。

「尚作」は、八ヶ岳のペンション「モーツァルト荘」の主人という設定。標高1,600mくらいの場所ですから、キルティングは必要でしょうね。
三浦哲郎は実際に八ヶ岳に別荘を持っていましたから、『モーツァルト荘』の背景に、その場所を選んだのも当然かも知れません。
三浦哲郎が師事したのが、井伏鱒二。井伏鱒二と交流があったのが、太宰 治。三浦哲郎は太宰 治を郷里の先輩だと思っていたので、井伏鱒二に親近感があったのでしょう。
井伏鱒二があまりお好きではなかったのが、講演。昔、断りきれなくて、講演を。壇上に机があって、白い布の上に花が活けてある。井伏鱒二は講演の間、知らず知らず、右手で掛布を引っ張っていたらしい。
最前列に座っていた老女が、「あっ!」と叫んだ。花壜がテーブルから落ちる寸前だったので。
老女の叫びで、一瞬、我に返って、深く一礼して、降壇したことがあったという。
三浦哲郎著『モーツァルト荘』に戻りましょう。この中に。

「若向きの派手なセーターからのぞかせたチェックのシャツの襟を気にしながら引き揚げていく相手を見送って、果たして大丈夫だろうか……………………。」

これは尚作のところに、新規のペンションの主が挨拶に来る場面。
「シャツの襟が気になる」。これは誰だったあることかも知れません。自分が着る服は気になるものです。
仮にこれを、「着気」(きき)としましょうか。服を着ようとする気持。
「着気」はなるべく少ないほうが良いのかも知れません。「着よう着よう」と勢いづくと、結果は服に着られてしまう。服が主人になって、中の人間は奴隷に。
その服を着ていることを忘れるくらいが、ちょうどいいのかも知れませんね。

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