フランスとフィット

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フランスは、ヨオロッパの先進国ですよね。美食の国であり、藝術の国でもあります。
ゴッホ、ピカソ、モジリアーニ………………。たくさんの有名画家を生み出しています。でも、ゴッホはオランダ人。ピカソはスペイン人。モジリアーニはイタリア人。
ゴッホもピカソもモジリアーニも「種」でありまして、それが巴里という「土壌」に蒔かれた時、美しい花を咲かせたのであります。これは巴里の、フランスの特徴でしょう。国籍に関して、鷹揚。たぶんそれはフランスが大陸に位置していることと、関係しているのではないでしょうか。
これと似たことが、フランスの写真家についても言えます。ロバート・キャパは主にフランスで活躍しましたが、ハンガリー人であります。マン・レイは、アメリカ人。ジョージ・ロジャーは、イギリス人であります。
ロバート・キャパもまた、フランスの藝術に対する寛容性を識っていたからこそ、「マグナム」の拠点を巴里に置いたのでしょう。
でも、フランスに生まれたフランス人の写真家がいなかったわけではありません。たとえば、アンリ・カルティエ=ブレッソン。アンリ・カルティエ=ブレッソンは、1908年8月22日。巴里郊外の、シャントルーに生まれています。れっきとしたフランス人であります。
アンリ・カルティエ=ブレッソンもまた「マグナム」の創立会員であり、終生、モノクロームとライカを愛した写真家なのです。
アンリ・カルティエ=ブレッソンと交流のあった日本人作家が、安部公房。

「ブレッソンについて語ることは不可能である。なぜならその画面のなかで、つねにすべてが語りつくされているからだ。」

1988年の、『カルティエ・ブレッソン作品によせて』と題する随筆に、そのように書きはじめています。

「黒から湧き出る白、白に落ちていく黒
たがいに溶け合うことなく 機略に富んだせめぎあい………………。」

安部公房は、アンリ・カルティエ=ブレッソン宛の手紙に、そのように書いています。1989年2月16日の日付になっています。手紙の最後に。

「すばらしい写真、ありがとう。」

と、ありますから、おそらくブレッソンが安部公房に写真を贈ったことへの、礼状なのでしょう。
1932年にブレッソンが写した写真に、『ブリュッセル ベルギー 1932年』があります。二人の男が建築中の囲いを眺めている場面。ほとんど背中だけが、見えているのですが。
その背中の線が、美事。ウエストの中央で、しっかりフィットしているのです。
ブレッソンの藝術性とは別に、フィットが何であるかを忘れないために、部屋に飾っておきたいものです。

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