ランデ・ヴウは、約束のことですよね。r end ez v o u と書いて、「ランデ・ヴウ」。
「約束」から転じて、「逢引」の意味にも使われたようです。が、今はあまり用いられません。絶滅危惧種語なのでしょうか。
「後の人力車に乘つてゐた彼は少しもこのランデ・ブウに興味のないことを怪しみながら……………………。」
芥川龍之介が昭和二年に発表した『或阿呆の一生』に、そのように出てきます。もしかすれば、日本でランデ・ヴウを「逢引」の意味ではじめて使った作家は、芥川龍之介なのでしょうか。
ところで、芥川龍之介はどんな机で原稿を書いたのか。
「僕の紫檀の古机はその時夏目先生の奥さんに祝って頂いたものである。」
芥川龍之介著『身のまはり』という随筆に、このように出ています。「その時」とは、大正八年、塚本 文と結婚した折のこと。つまり、漱石からの結婚祝いだったものと思われます。
そしてまた、ペン皿の説明も。
「僕の家に傳はつた紫檀の茶箕をペン皿にした。」
これは漱石先生が、「茶箕」をペン皿にしていたのを見て、龍之介も倣ったと、書いています。
茶箕は、「ちゃみ」。茶葉を掬う箕のようなもの。芥川の随筆からまた、知らない言葉をひとつ覚えました。
ランデ・ヴウが出てくる小説に、『銀座八丁』があります。昭和九年に、武田麟太郎が発表した物語。
「彼女の所謂「ランデヴ」の表が簡単な符號で記されてあつた。」
また、『銀座八丁』には、こんな描写も。
「一分の隙もない青年紳士。
流行のラグランの春外套の下には、英國風に仕立てた淡鼠色の少格子縞を均斉のとれた軍隊歸りの身體にうまく着こなし………………………」。
これは、「藤山」という男の様子。おそらく、ラグラン・スリーヴのスプリング・コオトなのでしょう。
いつの日にか。ラグラン袖のコオトで、ランデ・ヴウに。