マガザンとマヌカン

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マガザンは、フランス語で「店」のことですよね。これがグラン・マガザンになると、
「百貨店」。でも、マガザンだけでも百貨店を指すこともあるんだそうですが。
なにしろ「百貨店」というくらいですから、何でも揃っていまして。買物に便利なことこの上もありません。
その昔、倫敦の百貨店「ハロッズ」は、「あらゆる商品を揃えています」が謳い文句であったという。ですから客は「ハロッズ」にさえ行けば、まず例外なく欲しいものが買えたわけであります。
でも、中には暇な客もあって。「ハロッズ」にも置いていない物は何か。これを考えるのを、趣味としていた男がいたらしい。

「………三越白木屋等の大阪の百貨店でモスリン会を催した時やはり活動を映写したことなどである。」

細井和喜蔵著『女工哀史』には、そのように出ています。大正十三年一月のこと。
百貨店での「モスリン会」も珍しいのですが、映画も。さすがに、「百貨店」ならではのことでありましょう。
大正十五年には、作家の池谷信三郎が、『銀座と百貨店』という随筆を書いています。この池谷信三郎の『銀座と百貨店』によれば、当時の一日の人口、ざっと六万人であったという。つまり百貨店に出たり入ったりする人間の数、およそ六万人。

「百貨店の面白さはそこに賣られてゐると同様な位に、種々雑多な人々が、しかも、お互いに少しの交渉なく渦を巻いてゐると云ふ所にある。」

そんなふうに池谷信三郎は書いています。なるほど。人間観察の恰好の場でもあるのでしょう。
マガザンが出てくる研究書に、『パサージュ論』があります。1939分に、
ヴァルター・ベンヤミンの書いた書。この中に。

「マガザン・ド・ヌヴォテ、つまり大量の在庫品を備えた初期の店舗が登場し始める。これは百貨店の前身である。」

ベンヤミンの『パサージュ論』は、パサージュ史を書いた本であって、当然、マガザンにも大いに関係があります。
『パサージュ』には、また、こんな説明も出てきます。

「………われわれのソジー[分身]は、時間と空間の中に、無数にいるのである。」

ここでの「ソジー」は、ソジ s os i e のことかと思われます。「ソジ」s o s i e は、
「瓜ふたつ」の意味。「そっくりさん」のこと。
1858年に、巴里の「ウォルト」がはじめて、生きた人間の身体に服を着せて見せた時、
「ソジ」と呼ばれたものです。今いう「マヌカン」のことであります。
ウォルトは、本名、チャールズ・フレデリック・ワースで、これをフランス訓みにして、
「ウォルト」なのです。
つまり巴里のマヌカンは英國人、ワースが発明したということにもなるのですが。

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