ヴィヨンとヴィオレ

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ヴィヨンは、人の名前にありますよね。
たとえば、「フランソワ・ヴィヨン」だとか。Fr ançs o is V ill on と書いて、「フランソワ・ヴィヨン」と訓みます。
パリの名店。靴のオオトクチュールです。
1960年に、フランソワ・ヴィヨンがはじめたので、その名前があります。フォーブル・サント・ノーレ 27番地で。
この頃の顧客が、ココ・シャネル。今も、ベージュのレザーに、黒のスゥエードのパンプスがありますね。あれはもともと、シャネルがフランソワ・ヴィヨンに作ってもらった靴だったのですね。今では「シャネル・シューズ」の名前もあるほどなのですが。
モナコのグレイス・ケリーもまた、フランソワ・ヴィヨンで靴を作ってもらっています。
マルレエネ・ディートリッヒも、フランソワ・ヴィヨンの靴がお好きだったお方。
オオドリイ・ヘップバーンも、フランソワ・ヴィヨンの靴の愛用者でありました。
「フランソワ・ヴィヨン」は、ひとつの名前で。ほんとうは、フランソワ・ヴィヨン・ドゥ・ベンヴェニスト。この「フランソワ・ヴィヨン・ドゥ・ベンヴェニスト」を省略して、
ただ、フランソワ・ヴィヨンと呼びもし、呼ばれもしているわけです。

フランソワ・ヴィヨンはまた、中世、フランスの詩人でもあります。このフランソワ・ヴィヨンは、最初の近代詩人とも呼ばれている人物。ただし、その足跡は謎に包まれているのですが。
フランソワ・ヴィヨンは、1431年4月。巴里に生まれています。本名は、フランソワ・
モンコルビエであったという。が、聖人のギョウム・ドゥ・ヴィヨンに育てられたので、
「フランソワ・ヴィヨン」を名乗ったと、伝えられています。

トーストにした麵麭ほどにも珍重しまい。
好物のどろどろチーズも、ごつた煮も、

フランソワ・ヴィヨンが、1530年頃に書いた『遺言詩集』にそのような一節が出てきます。
当時、フランソワ・ヴィヨンは、アンジュ城主、ルネ王に庇護されていて。この界隈に住んでいたものと思われます。
アンジュは、あの「ロゼ・ダンジュ」という時の、ダンジュでもあって。たぶん、フランソワ・ヴィヨンは、ロゼ・ダンジュを傾けたに違いないでしょう。

「誰がフランスの偉大さを創っているのだろう?
 それはヴィヨンでありランボオでありヴェルレエヌでありボードレールだ。」

ジャン・コクトオは、1947年に発表した『ぼく自身 あるいは 困難な存在』の中で、
そのように書いています。
詩人でもあるジャン・コクトオが、少なくともフランソワ・ヴィヨンを高く評価していたことは間違いないでしょう。
『ぼく自身 あるいは 困難な存在』には、コクトオ自身の本音が、赤裸々に語られた書物であります。コクトオは何者であったのかを識る上でも、貴重というべきでしょう。

「上着を脱いだ機械人形のような上半身に紫色のチョッキの彼は、そこで、一方の手で皿を支え、もう一方の手でフォークを持って、立ったままニィユを食べるのだった。」

ここに、「彼」と出てくるのは、マルセル・プルースト。これはコクトオがプルーストの自宅を訪ねたときの様子として。
たぶん、1910年代のことでしょう。1910年代に、プルーストは「紫」」のジレを、
お召になっていたものと思われます。
紫色にも、いろいろあるのでしょうが。たとえば、「ヴィオレ」v i ol et 。英語なら、
「ヴァイオレット」でしょうか。
ヴィオレは高貴な色という印象があります。時代によって、また国によって「禁色」とされたことがあるのは、ご存じの通り。
古代紫は、特別な貝の分泌液から得られた、この上なく高価な染料であったのですから。
どなたか絹のヴィオレのジレを仕立てて頂けませんでしょうか。

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