ベトナムとベイスティング

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ベトナムは、国の名前ですよね。ベトナムの民族衣裳のひとつに、「アオ・ザイ」があります。
少し前までのベトナム人女性は誇りを持って「アオ・ザイ」に身を包んだものです。が、今は西欧化の時代の流れで、「アオ・ザイ」姿は少なくなっています。日本の着物のように。
「アオ」は本来、「上着」の意味。「ザイ」は、「長い」ですから、「長い上着」とも訳せる言葉でしょうか。
アオ・ザイには、必ず長いスリットが入ります。このスリットのことを、「クエ・ハオ」と呼びます。
アオ・ザイの下には、「クワン」を。クワンは、ベトナム風パンタロンのことです。
このアオ・ザイとクワンとで一応の完成。これを「クワン・アオ」と呼びます。「ベトナム風パンタロン・スーツ」でしょうか。
クワン・アオは、多く、シルク・サテン。そして上着には紋織のサテン。クワンには無地のサテンを組み合わせることになっています。
ベトナムのアオ・ザイをたっぷりと眺めた日本人男性に、石原慎太郎がいます。石原慎太郎は、昭和四十一年に、ベトナムを訪問しているので。
昭和四十一年は、西暦の1966年のことで、この時代にはまだアオ・ザイは健在だったので。

「………雨の夜のアンブッシェ(待ち伏せ)作戦の折に、一夜ポンチョにくるまっていつどこから襲ってくるやもしれぬベトコンの恐怖に晒されるまま……………………。」

石原慎太郎が、平成八年に書いた『国家なる幻影』に、そのような文章があります。もちろん、ベトナム戦争期の体験について。
ここでの「ポンチョ」は、アメリカ軍にも支給されていたもの。目立ちにくいオリイヴ・ドラブ色で、ゴム引きの大型ポンチョ。雨には絶対に強いポンチョだったのですが。
でも、1966年、ベトナムの石原慎太郎は雨の中でポンチョを着ていただけでなく、町でベトナム美女に囲まれたことも間違いありません。いったいどんな「襲撃」があったのかまでは知りませんが。

「………助六に思いをかける花魁揚巻に曽野綾子さん、花魁白玉に有吉佐和子さんという若手豪華配役で……………………。」

石原慎太郎は、『文士劇の迷優たち』のなかに、そのように書いています。1960年代には、「文士劇」が盛んだったものです。
因みに、助六が慎太郎、意休が三島由紀夫というのですから、さぞかし観ものであったでしょう。
花魁佐和子に、いや、有吉佐和子が昭和三十八年に書いた小説に、『仮縫』があります。
有吉佐和子の『仮縫』の装幀を手がけたのが、中林洋子。中林洋子と書いて、「なかばやし
なみこ」と訓みます。以前、服飾デザイナーだった人物。で、『仮縫』は、装幀も仮縫つきで美しく仕上がっています。

「奥さま、一メーター七万円もするお布地でございますよ。これだけの大作ですもの、三度だってさせて頂きたいくらいでございますわ」

これは洋裁店「パルファン」の店員、「松平ユキ」の科白として。
フランス製ラメの生地の値段。今の貨幣価値なら、「メーター70万円」くらいでしょうか。
日本での仮縫を、「ベイスティング」 b ast ing と呼ぶことがあります。
仮縫には仮縫のエチケットがあるのです。それはやがて完成するスーツに合わせてシャツやネクタイ、靴などで、出向くこと。ことに靴は大事で、トラウザーズの長さがその靴によって決定されますから。
どなたか純白のスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。ちゃんと礼に叶った服装で、仮縫にのぞみますから。

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