ポルトガルは、国の名前ですよね。ポルトガルと日本の交流には、浅からぬものがあります。
ポルトガル語にはじまる日本語が少なくないのは、ご存じの通り。
たとえば、金平糖。金平糖は、ポルトガル語の「コンフェイト」から来ているとの説があります。
あるいはまた、「チャルメラ」。夜、独特の、もの哀しい、小さなラッパを吹いて支那そばの屋台がやって来てものです。俗に、「夜鳴きそば」とも。あの「チャルメラ」も、もともとはポルトガル人の呼び方から出ているんだそうですね。
日本を愛し、日本に骨を埋めたポルトガル人に、モラエスがいます。もともとは、神戸の、在日ポルトガル領事だった人物。
ウエンセスラオ・デ・モラエスは、1854年5月30日に、ポルトガルのレイリアに生まれています。
1889年8月。三十五歳のモラエスは、長崎に。長崎に着いてすぐ、「永住したい」と洩らしたと伝えられています。
1899年には、神戸で、初代ポルトガル領事となって。
1900年11月。大阪、松島の藝者、「おヨネ」と結婚。
1909年8月。おヨネの実家のある徳島へ、盆踊り見物に。
1912年8月。おヨネ、三十八歳で、世を去っています。
1913年7月。徳島に移住。
1929年6月30日。七十五歳にて、モラエス死去。
ごく簡単に申しますと、モラエスの半生はそんなふうであったようです。この間、同郷のポルトガル人はモラエスにポルトガルへの帰国を勧めてもいます。でも、モラエスが日本を離れることはありませんでした。
ポルトガルが出てくる小説に、『パリのぶどう酒』があります。フランスの作家、
マルセル・エイメが、1940年頃に書いた短篇。
「………ハンガリーのトカイ酒、スペインの、イタリーの、キプロス島の、そしてポルトガルのぶどう酒まで……………………。」
この物語の主人公は、ゲリヨ。ワインの造り手。そのゲリヨがありとあらゆるワインを試飲する場面なんですね。でも、どのワインを飲んでも満足しない。ここから物語がはじまるのですが。
ほぼ同じ頃、マルセル・エイメが書いた短篇に、『パリ横断』があります。この中に。
「細長い紐のネクタイをしめていたが、そのネクタイの上に大げさな銀製の馬蹄形のピンをつけ……………………。」
これは、「マルタン」というフランス人の着こなし。
おそらくは、「ボーラ」b ol a のことかと思われます。
「ボーラ」は、1940年頃。アメリカ、アリゾナのカウ・ボーイ、「ヴィック・サーセルスタッフ」が考案したネクタイのこと。
1971年に、「公式アリゾナ・タイ」に認定されています。
余談ですが。紐を留めるための留め具は、「クラスプ」と呼ばれるものです。
どなたかスーツにも合わせられるボーラを作って頂けませんでしょうか。