マッチとマフラー

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マッチは、火をつける道具ですよね。
マッチは一本の小さな軸で、軸の頭に発火剤が塗ってあって。これをマッチの箱の側で強く擦ると、火花となってくれるわけです。
マッチが出て童話に、『マッチ売りの少女』があります。デンマークの詩人、アンデルセンが1848年頃に発表した創作童話です。
194511月には、アンデルセンはドイツに旅行中でした。その旅先に、デンマークの編集者から手紙が送られてきて。「童話を書いて欲しい」。その手紙には、三枚のスケッチが添えられていたのです。
その三枚の木版画から一枚を抜き出して。それはマッチを持った女の子の後ろ姿だったのですね。
この女の子の木版画から、アンデルセンは『マッチ売りの少女』を紡ぎ出したのであります。

「とうとう、もつてゐた一たばを、みんなつかつてしまひました。マッチはあかあかともえてあたりは晝間よりもあかるいくらゐでした。」

このあたりが『マッチ売りの少女』の頂点でしょう。日本語訳は、鈴木三重吉であります。
マッチ売りの少女は、幻の中に、おばあさんを見る。そこでおばあさんにずっと居てもらいたいために、マッチを擦る場面なんですね。
アンデルセンはどうして、『マッチ売りの少女』を即席に書くことができたのでしょうか。

「その日は家の窓に一面氷がはった。父はその窓ガラスに、両腕をのばしている乙女のような形の氷模様があらわれているのを私たちに見せた。」

アンデルセン著『アンデルセン自伝』に、そのように書いています。
アンデルセンのお父さんは靴職人だったのですが、また詩人の心をも持っていたのでしょう。

マッチと芥川龍之介。芥川龍之介は、『侏儒の言葉』の中で、こんなふうに言っています。

「人生は一箱のマツチに似てゐる。重大に扱ふのは莫迦莫迦しい。重大に扱はなければ危険である。」

芥川龍之介が、大正十二年四月に書いた短篇に、『保吉の手帳から』があります。この中に。

「もう一人のスタアレット氏はづつと若い洒落者だつた。冬は暗緑色のオオヴア・コオトに赤い襟巻などを巻きつけて来た。」

これはある学校の英会話の教師の着こなしとして。
ここでの「襟巻」は、今ならマフラーでしょうか。
襟に巻くので、襟巻。暖かいものです。また「ネクタイの外套」とも言いたい装飾性もあります。
暖かくて、おしゃれで。
どなたか絹糸で赤いマフラーを編んで頂けませんでしょうか。

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